今回は今も路線があるにもかかわらず、なくなった駅についてお話しましょう。なお、駅の位置が変更になったり駅名が変更になったもの、後に開設されたものは、今回は除外しました。

 

1 嵐電

壬生駅(大正3年開業 昭和46年7月廃止届)

四条大宮~西院間は、現在は駅がありませんが、かつては壬生寺に通じる壬生寺道の踏切のところに「壬生駅」がありました。駅といっても線路と人家の間に幅の狭いホームがあった程度です。その上、この駅の経過が面白いのは一度廃止になったのに、休止と復活(大正13年、昭和4年、昭和27年)を3度も繰り返したことです。最終的に昭和34年まで使われていたという記録があります。壬生寺への参詣には便利だったかもしれませんが、四条大宮からさほど離れていないこともあって、利用客は限られていたかもしれません。


 

小松原駅(大正4年11月開業 昭和18年10月休止 同20年6月廃止)

北野線の白梅町のすぐ西にあたりますが、このKLKでもお話しましたように北野線開業時は西大路通が未整備でしたから現在の北野白梅町駅はなく、御前通を下がったところにあった始発の北野駅の次はこの小松原駅でした。北野白梅町(開業時は白梅町駅)が開設されますと、駅間が近いこともあって小松原駅はなくなったのです。現在でも馬代通との踏切横にはそれらしいスペースが見て取れます。

馬代通の踏切付近に駅跡かもしれない空地が見られる

馬代通の踏切付近に駅跡かもしれない空地が見られる

2 京阪

現在は地下化された京阪本線ですが、明治43年の開業時は、七条通や七条大橋は未整備でしたから、人の流れや京都駅との関係で始発の五条を出ると疏水端に次の2つの駅が設けられました。


 

塩小路駅(明治43年4月開業 大正7年11月廃止)

鴨川に架かる塩小路橋の東側にあった駅で、隣接して貨物駅(本線から分岐した貨物ホーム)もありました。当時は大手私鉄も貨物電車を用意して貨物営業(蔬菜や小荷物輸送)をしており、京阪の京都側の貨物取扱い駅が塩小路駅でした。国鉄の京都駅にも近く便利だったからでしょう。もっとも開設や廃止の年ははっきりとした資料がないのでわかりません。

 

大仏前駅(明治43年4月開業 大正2年4月廃止)

同じく正面橋を渡った東側にあった駅です。大正2年に七条通が整備されて七条大橋が架かり、市電も敷かれると当然人の流れは変わり、京阪は七条駅を開業しました。その結果、前後の塩小路・大仏前の両駅は相次いで廃止されてしまいました。大仏前駅が七条駅開業と同時に廃止されているのに対して塩小路駅の廃止がその5年後になっているのは、先述の貨物駅との関係かもしれません。

始発の五条(●)、大仏前、塩小路の駅があったことが分かる

始発の五条(●)、大仏前、塩小路の駅があったことが分かる

(京阪社史「鉄路50年」より)

同じく京津線ですが、ご存知のように平成9年に地下鉄東西線に譲る形で地上の路面電車はなくなってしまいました。その際になくなったのが次の2駅です。

 

九条山駅(大正元年8月開業 平成9年10月廃止)

蹴上から関西屈指の千分の50という勾配で上りきったところに九条山駅がありました。当然、山科側からも急こう配で上ってきました。もともと周辺に人家はほとんどなく利用客は少なかったのですが、峠にあったこの駅は「電車もちょっと一服」という感じで止まってました。実は京津電車が開業したときは「日岡」という名前の駅だったそうですがすぐに休止になります。昭和11年6月に「天文台下」という駅名で復活し、昭和18年に「九条山」駅に改名されるのです。

蹴上からも山科からも上り切ったところに九条山駅があった

蹴上からも山科からも上り切ったところに九条山駅があった

またこの駅は京津線廃止時に使われなくなった古い電車が、運行終了と同時に集結された駅でした。東西線への切り替えの前夜、翌日から使われなくなる9編成18両の古い電車が自力でここにやってきて生涯を閉じたのです。そして1両ずつここで解体されていきました。通常、廃車になった電車は車庫の奥やトレーラーで運び出されて人目につかないところで解体されるのですが、シートで目隠しをされていたとはいえ、三条通のすぐ横で解体され、単に駅がなくなるだけでなく、悲しい歴史の駅となりました。

廃線後、使われなくなった電車が集結(終結)した九条山駅

廃線後、使われなくなった電車が集結(終結)した九条山駅

日ノ岡駅(開業日は不明 平成9年10月廃止)

同じく御陵と九条山の間にあったのが日ノ岡駅でした。この駅も開業時の駅名は「日岡」でしたので、先述の九条山の「日岡」駅が休止になって、山科側に下りたところに「日岡」駅が出来たと考えるのが自然かもしれません。もっとも駅といっても三条通上にあった安全地帯の停留所でしたが、三条通の南側には小さな待合室があり、各停の電車が近づいてきたらそこから安全地帯に渡る乗客もおられました。

安全地帯だけの駅だった日ノ岡駅

安全地帯だけの駅だった日ノ岡駅

右折車が線路をふさぎ、待たされることがしばしばあった。

これは駅とは直接関係がありませんが、三条通を右折して渋谷街道に入る車が軌道内で止まると電車の運行に支障が出るので、京阪の職員さんが白いヘルメット姿で電車を通すために交通整理に当たっておられたのを覚えています。

日ノ岡駅の小さな待合室

日ノ岡駅の小さな待合室

3 近鉄(奈良電)

八条駅(昭和3年11月開業 昭和20年5月休止 同21年廃止)

近鉄京都線は昭和3年に昭和のご大典に合わせて開業した奈良電が前身ですが、その時、京都と東寺の間に八条という駅がありました。開業時は地上を走っていた奈良電ですが、京都駅を発車して八条通を斜めに渡ったところにありました。京都駅からすぐのところですよね。電車を待っている間に駅まで行くことが出来たのではないでしょうか。それで利用客が少ないこともあって、開業17年で休止になってしまいました。

京都市街全図(1941年 和楽路屋)の一部抜粋

京都市街全図(1941年 和楽路屋)の一部抜粋

八条駅が記されている

堀内駅(ほりのうち)(昭和3年11月開業 昭和20年12月廃止)

現在の近鉄丹波橋駅のことですが、昭和20年に奈良電と京阪が京阪の丹波橋駅を介して乗り入れを始めると、不要になり廃止されました。もっとも貨物電車の側線としては利用されていました。昭和43年に相互乗り入れが解消されると、「近畿日本丹波橋」駅として生まれ変わることになりました。

 

木津川駅(昭和4年7月開業 昭和49年7月廃止)

京都市内から離れますが、せっかくですのでふれておきます。新田辺の手前の木津川には長い鉄橋が架かっていますが、あの下は奈良電自身も力を入れた水泳場でしたので、夏の水泳シーズンのみ開設される臨時の駅がありました。文字通り木津川駅です。奈良電の開業が昭和3年11月ですが、翌4年の水泳シーズンには開業しています。木津川鉄橋の新田辺側のところにありました。昭和20年に休止され、廃止の手続きもとらえたようですが、戦後、昭和23年7月に復活、同40年のシーズン終了後に休止、同49年にふたたび廃止されました。私も子どもの頃にこの水泳場に連れてもらったことがありますが、電車も含めあまり記憶に残っていません。

 

4 阪急(新京阪)

物集女駅(昭和21年2月開業 昭和23年3月廃止)

桂~東向日間、戦後すぐに短期間だけあった駅です。現在の洛西口付近にあった駅で、当時の主要な軍事工場であった三菱重工業(現陸上自衛隊桂駐屯地)への工員輸送のために計画された駅でしたが、開業したのは終戦後で当初の目的は達せられませんでした。なぜあの場所で物集女(もずめ)駅と付けたのかがわかりませんが、もう少し西の物集女の方に行けるというという意味だったのでしょうか。もっとも、戦後の買い出しであのあたりに出向くために利用したという話も聞いたことがありました。


 

5 JR嵯峨野線(山陰線)

緑化フェア梅小路(平成6年9月23日開業 同11月21日廃止)

梅小路公園で平成6年の秋に2か月間、全国都市緑化きょうとフェアが開催され、そのためのアクセスを考え、臨時の駅が開設されました。大宮通をくぐった梅小路公園の南側に、当時単線だった山陰線の線路に簡易ホームが作られ、普通列車だけが停車するというものでした。
ちなみに鉄道関連では、梅小路公園にチンチン電車の運転が復活したのもこの催しを記念してのことでした。

なおこの付近には明治30年、京都鉄道によって山陰線が開業したときに大宮停車場が設けられたことがありましたが、今の京都駅と直接つながって廃止されました。

2か月間だけの駅名標だった

2か月間だけの駅名標だった

地下鉄東西線に乗って蹴上~御陵間で天井を見上げて「このあたりに九条山駅があったのか」なんて思う人はいないでしょうが、今回お話した路線を乗られたときは、「このあたりに○○駅があったのか」と時に思い出していただければ、また車窓が違って見えてくるのではないでしょうか。

 

〈参考文献〉
日本鉄道旅行地図帳 新潮社
鉄路50年 京阪電鉄
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この記事を書いたKLKライター

鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長
島本 由紀

 
昭和30年京都市生まれ
京都市総合教育センター研究課参与
鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長

子どもの頃から鉄道が大好き。
もともと中学校社会科教員ということもあり鉄道を切り口にした地域史や鉄道文化を広めたいと思い、市民向けの講演などにも取り組んでいる。
 

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