京都市が発行する「京の橋しるべ」第19号(令和3年10月発行)に白川に架かる橋が紹介されていました。白川には、京都市の橋が44橋も架かっているというのです。その中には歴史のある国道の橋もあれば石でできた一本橋もあり、変化に富んでいます。また橋の袂と川面がとても近いので、日常に溶け込んだ親近感の持てるものとなっています。そこで晴れた日に岡崎公園から白川沿いを南に下り、祇園新橋界隈をゆったりと歩きましょう。
最も古い、一本橋
京都市動物園の南で琵琶湖疏水に合流する白川は、しばらく西に流れ神宮道を過ぎたあたりで疏水と別れ、南に流れていく。白川沿いの小道は水面に近く、橋は一本橋や太鼓橋、石造や木製欄干、欄干のない橋などもあり、実に変化に富んでいる。川は浅くて澄んでいる。所々に洗い場や堰板設置用の杭などもあり、日常に溶け込んだ親近感の持てる川だ。三条通から南に延びる古川町商店街が白川に突き当たるところに、幅の狭い石を渡しただけの「古川町橋(一本橋)」が架かっていて、肝試しに渡りたくなる。この橋は白川に架かる橋の中で最も古く、行者橋や阿闍梨橋とも呼ばれている。
洗練された「祇園新橋」
ここから先、白川は幾度もクランク状に折れ曲がる。最初の折れ曲がりは、知恩院古門の前にある「古門前橋」を過ぎたあたり。橋を通る古門前通は、1603(慶長8)年に知恩院門前として開かれた(「京都坊目誌」)といい、西は大和大路通へ、東は知恩院黒門へ通じる。次のクランクは、花見小路通に架かる「有済橋」を過ぎたところ。その先に新門前通に架かる「新門前橋」がある。京都坊目誌によれば、知恩院三門が徳川秀忠によって1621(元和7)年に建立された3年後、三門前の通りとして新門前通が大和大路通まで開かれたという。3番目のクランクは、1713(正徳3)年に建てられ1958(昭和33)年に架け替えられた「新橋」を過ぎたところ。このあたりから大和大路通までの新橋通と白川南通、そして「巽橋」から南に延びた“切り通し”に面する地区が「祇園新橋』。江戸末期から明治初期にかけての質の高い洗練された町家が整然と建ち並び、美しい流れの白川や石畳、樹木などと一体となってすぐれた歴史的風致を形成しており、1976(昭和51)年に伝統的建造物群保存地区に指定されている。
「祇園東」のお茶屋街
ところで、祇園新橋は五花街のうち「祇園甲部」に属するが、新橋通を東に行くと、もうひとつの花街「祇園東」がある。四条通北側のお茶屋街はどのようにしてできてきたのだろう。
このあたりが大きく変わるのは、1670(寛文10)年の鴨川大改修以降である。このときの新堤構築により、大和大路通(縄手通)の三条と四条の間に祇園外六町が開かれ、1712(正徳2)年には祇園内六町(元吉町、末吉町、橋本町、清本町、富永町、林下町)も開かれた。内六町は知恩院領が多く、林や藪、田畑の中に百姓家が点在していたようだ。四条通を挟んで北と南にまたがる祇園町は、1872(明治5)年に建仁寺境内の北部が上知され現在の祇園町南側に編入されるなど、花街がさらに広がっていった。
1881(明治14)年に祇園町は甲部と乙部に区分された。甲部が現在「祇園甲部」と呼ばれるところで、四条通を挟んで北が新橋通、南が建仁寺通、西が大和大路通、東が東大路通に囲まれた範囲。八坂神社の門前町として栄え、江戸時代の茶屋建築の面影を残す風情ある町並みが独特の情緒を創り出している。
一方、乙部は花見小路通と東大路通の間で、四条通北側の通り3本(東富永町・中末吉町・新橋)にまたがっている。1949(昭和24)年に「東新地」と改称し、1955(同30)年頃に「祇園東」となった。このあたりは膳所藩の京屋敷があった場所で、“膳所裏”とも呼ばれていた地域。1870(明治3)年にこれらの屋敷が撤去された跡にお茶屋が建ち、祇園町の花街が広がっていった。祇園東では「祇園をどり」を1952(昭和27)年から始め、他の花街では春に開催されるが、毎年秋に祇園会館で開催されている。
景観を守る取り組み
四条通の北側で大和大路通から花見小路通にかけての各町内では、今日も町内ぐるみで景観まちづくりの取組が熱心に行われている。
伝建地区を擁する祇園新橋地区では、景観づくり協議会を設立し、2018(平成30)年に①祇園新橋の文化の共有と継承、②伝統的な建造物の維持・保全、品格ある建物の表構え、③祇園新橋の風情を味わう空間づくりを将来像とする「祇園新橋景観づくり計画書」を定めた。祇園新橋で暮らし、事業を行う人たちが協力し合って、風情のある空間づくりに取り組んでいる。
その北側の新門前通に面する西之町は,知恩院の門前にあって、隣り合う祇園町の営みや文化芸能を支える家々が存在し、通りには古美術商が集まって情緒豊かな町並みを形成している。このため1999(同11)年に歴史的景観保全修景地区が指定され、2004(同16)年には風俗店などの用途を規制する「新門前通西之町地区 地区計画」が決定されて、風情ある景観の形成とともに、古美術商をはじめとする商環境や落ち着きのある良好な住環境の形成が図られてきた。また2013(同25)年には景観づくり計画書を作成し、町式目の設定、土地・建物の利用基準づくり、景観デザインの作成などの取組を進めている。
さらにその北側の古門前通に面する元町は、知恩院参道のまちとして形成され、時流とともに逸品の古美術品や高い美意識をもった生業が集積し、趣のある風情と気品を有するまちとして成熟してきた。しかし近年、町内で営業開始した簡易宿所が管理不十分のため騒音や環境問題が発生した。この問題に取り組むなか、2015(同27)年に風俗店などの用途を規制する「古門前通元町地区 地区計画」が決定され、あわせて建築協定を締結することにより、まちの魅力である個性・清閑さ・まちなみなどの維持向上を図るまちづくりを進めている。
知恩院門前から鴨川まで白川に沿ってその界隈を巡ってみると、地域の歴史とともに暮らしと営みを両立させたいという、人々の想いが伝わってきた。
「国指定文化財等データベース」(京都市祇園新橋)文化庁
「京都市情報館」(京の橋しるべ 第19号(令和3年10月発行)京都市
「京都市情報館」(祇園新橋伝統的建造物群保存地区保存計画)京都市
「京都市情報館」(京都市東山区古門前通元町地区建築協定)京都市
「京都市歴史的風致維持向上計画(1期)」(第2章2―ものづくり・商い・もてなしのまち京都―)京都市、2019年
「京都市歴史的風致維持向上計画(2期)」(第2章2―ものづくり・商い・もてなしのまち京都―)京都市、2021年
「祇園新橋景観づくり計画書『祇園新橋の風情をこれからも、守る』」祇園新橋景観づくり協議会、2018年
「住民が築く町・新門前通西之町のまちづくり 景観づくり計画書」西之町まちづくり協議会、2015年
「京の花街文化」(祇園東)公益財団法人京都伝統伎芸振興財団(おおきに財団)
「祇園東について」祇園東歌舞会
「京の花街 ひと・わざ・まち」太田達・平竹耕三編著、日本評論社 2009年