京のくらしと京ことば  暗黙の了解

京都が「一見さんお断り」なのにはワケがある

 「一見さんお断り」は、今や多くの人々に認知されている。簡単にその背景とともに触れておくと、多くは祇園などの花街での話であるが、その背景には、お茶屋は女だけの世界であり、そこに客といえども男が入るということは、信用問題となる。だから、信用あると認められた人、信頼できると認められた人がお茶屋に上がることが許されるのである。

信用といえば、一応カードの審査のようなものを思い出すが、そんな生易しいものではない。なぜなら、お茶屋の世界では、一切合財現金を扱わないからである。いわゆる信用貸しの世界である。

例えば帰るときである。最後に車を呼ぶがその代金までお茶屋が立て替えるのである。そこまで信用がおける人の紹介、一緒に座敷に上がる人を見て、そこまで言われるのならということで、いわゆる今風にいうならば、会員ということになれるのである。そこには、紹介した人の責任も大変大きなものとなる。ゆえに、極端なことをいえば、一部上場の大会社の会長や社長でさえ、紹介が無ければ上がれない世界なのである。女将に「存じ上げまへん」「知らしまへん」と言われれば、どうしようもないのである。

お茶屋に上がれる人は人でその信用維持もまた大変なのである。例えば、祇園甲部では、「都をどり」の時季になると、お茶からその券が送られてくる。いわゆる割当である。こちらから何枚というのではない。送られてくるだけ購入しなければならない。そして、贔屓の舞妓がいつ出るのか、出演表のようなものが添えられている。そして、その日に歌舞練場まで出向くのである。ただし、単に出向くだけではいけないことはわかるだろうし、その舞台の話が次にお茶屋に上がるときの話にもなるのである。そんな細々とした話が続いて行くのである。もう年中行事のようになっているので、それはそれでその世界の人にとっては特別なことでもなんでもないことなのである。

「おこしやす」と「おいでやす」の違いとは。

さて、話は変わって、こちらは庶民の暗黙の了解である。それは、「おこしやす」、「おいでやす」という言葉である。縄のれんのような店もだんだん少なくなってきたが、いわゆる一般の飲み屋である。具体的には、店ののれんをくぐったとき、「おこしやす」と言われるか、「おいでやす」と言われるかということである。「おこしやす」と言われれば客として認められた客であり、「おいでやす」と言われれば客として認められていない客なのである。理由はこうである。

「おいでやす」のおいでは、「お出で」である。「おこしやす」のおこしは、「お越し」である。お出では単に出てきたというだけであるが、お越しは越して出てきたということになる。お越しには、何らかの困難などを越えてという意味合いを含んでおり、えざわざとというまでもないが、そんなニュアンスがあるのである。だから客ではあるが、のれんをくぐった瞬間に、「おいでやす」と言われれば、長居は無用と捉えなければならないのであり、「おこしやす」と言われれば、ちょっとはこの店ともなじみになってきたのであると捉えればいい。

また、約束などをして、店を訪れるなどの客も、「おこしやす」である。店も待っている客なのである。現に私も若い頃であるにもかかわらず、お金が足らなくても大きな顔を利かせてもらったりしたものである。

最近はチェーン店で、明朗会計なのかもしれないが、何度も行こうという気にはなれない。そんな店で知り合う客との交流も楽しかったし、また店も客の好みも知っていて、言わずもがなで任せておけた。いちいちメニューを見ながら、どんなものかと尋ねるのもなという思いであるし、本当に気が置けない店がいい。ボトルがなくなっても黙って次のものを出してくれる。その代わり客のほうも間を開けていると、そろそろ顔出しをしとかなという思いにさせられる。そんな関係でもあったように思う。よそ行きの顔をしなくてもいいし、近くに寄れば、一人でも顔出しができる。いっぱいなら、「また」と言って帰れる。大人の粋場である。
 
でもよくよく考えてみると、そんな店も誰かに連れて行ってもらったに違いない。どこかにきっかけがあり、そういうつながりの中で、通っていったように思う。「一見さんお断り」のような厳格さはないけれども、いつごろから「おこしやす」と言ってもらうようになっただろうかと考えるがわからない。京ことばを意識していなかったからである。街中を歩きながら、昔からある飲み屋を見ると、今もそんな使い分けをしているのだろうかと思う。

 最後によく取り上げられる「京の茶漬け」なども、言わずと知れた暗黙の了解例である。昼時となり、お客に「なにもおまへんけど、お茶漬けでも」というと、時分時になったという合図で、お暇しなければならない客が、お茶漬けを要求するという話である。このあたりの話はまたいずれ。

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この記事を書いたライター

 
京ことば研究家
故井之口有一・堀井令以知両氏の「京ことば研究会」で、京ことばとことばの採集方法を学ぶ。京ことばの持つ微妙なニュアンスの面白さを追い続けている。

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