【京のくらしと京ことばシリーズ】
▶︎暗黙の了解「一見さんお断り」「おこしやす、おいでやす」▶︎他人を通して「折れ反れもできませんで」
▶︎漱石も惑わされた「おおきに」の意味
▶︎程度の差「ほっこり、くたびれ、しんどい」「ぶぶ、おぶ」
▶︎こんな挨拶も「祇園祭どすなー」「ごきげんよう」
▶︎京都人の「かみ・しも」って?
昔の京都人の万能薬「きず」
きず飲んどき,と子どものころよく言われた。私くらいの年齢の人は多いように思うが,そんなことばを聞いた方はおられませんか。水あたりや食あたりのときに,きずを飲むのである。
そのきずと呼ばれるもの,漢字で書けば,木酢,生酢と表す。もともとは,橙や柚子から搾った汁をいうようだが,京都のそれは,梅干しを漬けるとき,塩漬けにした梅から出る汁のことであるが,それも最初の塩水で,酸味の強い,ちょっと薄茶色をしている梅酢のことである。
その置き場所であるが,通り庭にあるはしりの近くには,乾物などの食物を入れておく押入れがあった。高い天井には天窓があり.昼なお暗い押入れの中には,からと(唐櫃)や塩などとともに,このきずが置いてある。何年物ということで,いくつかの瓶が並んでいる家もある。先にも書いたが,瓶を並べて見ると,その年によって色の濃い薄いがあり,子ども心に,濃い方が何かよく効くように思っていた。これを管理するのはおばあちゃんであった。
そんな梅干し,それ自体家で漬けることも少なくなったし,うなぎの寝床といわれるような家でも,裏には庭があったりして,梅を干していた。住宅事情も大きく変わり,外で干せば,光化学スモックや排ガスなどの問題もある。そして何より,梅干しを漬ける手間より,買った方が安上がりであると考える人も少なくない。でもそれでは,きずはできない。しかし,衛生状態は昔よりはるかによくなったし,水あたりなどあまり聞かなくなった。今や現状はそんな状態なのである。そうそう,私の子どものころはまだまだ井戸を使っている家も多かった。スイカなどはロープに引っかけ井戸で冷やしていた。梅雨から夏にかけて,冷たいものでお腹を壊すと,希釈したきずを飲ませてくれた。するとなんとなく治っていくのである。こんな時もきずであった。旅行に出かける前に,水あたりや食あたりの予防のようにもなっていたように思う。行く前に同じように希釈にして飲んで出かけた。今から思うと,なんとも不思議な感覚である。大人になれば,二日酔いに氷を入れて飲んだこともある。すると身体がピリッとして,仕事に出られるのである。大学時代に祖母は亡くなったが,卒業後も,何年間かはこのきずにお世話になった。いわゆる家庭の常備薬であった。
「ぼっかぶり」は例の虫?
そんなきずの置いてある押入れの開け閉めをしていると,ぼっかぶりに出会うのもこの梅雨から夏場に多い。いわゆるゴキブリである。ゴキブリは,「御器がぶり」の変化したものである。その御器かぶりが訛ってぼっかぶりとなった。御器は「蓋付きの碗」の意味であり,かぶり(かぶる)は「かじる」で,食器をかじるという様子からの命名である。このぼっかぶりということば,今ではほとんど聞かなくなったことばである。人によってはあぶらむしという人もいる。ただあぶらむしは,理科で植物につくアリマキという緑色の小さな虫のことを習うので,今では,あぶらむしをゴキブリと呼ぶ子どもはほぼいないであろう。
私の記憶からいうと,ぼっかぶりは大きく黒っぽいゴキブリで,あぶらむしは小さくて茶っぽいゴキブリと分けて言っていたように思う。どちらにしてもほぼゴキブリしか聞かなくなってきたように思う。出来る限り,自分自身では京ことばを遣うようにしているが,ことばはやはり相手あってのことで,祇園生まれで,祇園育ちの家内なども,ぼっかぶりと言えば話は通じるものの,「今年はまだゴキちゃん見てないな」などと言うので,ほとんどぼっかぶりと言わなくなった。それはゴキブリホイホイが出出した頃からかな,と振り返って思う。
そんな薄暗いというか,ぼっかぶりのいそうなところに,ぬか床があった。私の家では,ちょうどはしりの下にあった。夏の京都は本当に暑い。そんな朝,ナスやキュウリのどぼづけ(漬け)を出し,お茶漬けを食べる。あっさりとガサガサと食べられるので,忙しい職人の食卓には持って来いである。朝から漬物が大きな盛り鉢に入れられ,普通なら,小皿にでも取って醤油をかけて食べるのだが,そこは忙しい職人,大きな鉢ごと,全体に醤油をかけて,皆でめいめいが箸を突っ込んでいた。それをぼっかけと呼んでいた。二日酔いの朝など,あのきずを飲み,ちょっと落ち着いたところで,ぼっかけのどぼづけでサラサラとお茶漬けを食べていたな,と夏の朝の一コマをなつかしく思い出す。
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