梅小路 鉄道よもやま話

3月16日のダイヤ改正でJR嵯峨野線(山陰線)京都~丹波口間にまたひとつ新しい駅が開業します。「梅小路京都西駅」です。駅名にもなる梅小路地域は京都水族館(平成24(2012)年開館)や京都鉄道博物館(平成28(2016)年開館)があり、連日大勢の人々で賑わっています。
そもそもこの地域に本格的に鉄道施設が出来たのは大正2(1913)年、京都駅に併設されていた貨物駅を分離して西に移転、梅小路駅として開業し、翌大正3年に梅小路機関区を作って機関車もここに集めたことに始まります。鉄道がどんどん発展していく時代でしたから多くの貨物列車が発着し、またそれをけん引する蒸気機関車(SL)の車庫が必要だったのです。米原~大阪間の電化が昭和31(1956)年ですから、それまでは旅客列車も蒸気機関車がけん引、長距離の特急や急行をけん引するC51・C59・C62という大型で花形の機関車がこの梅小路に配属され、我国屈指の機関区となりました。最盛期には85両の蒸気機関車が配置されていました。貨物列車も今のようにコンテナ列車として直行するのではなく、梅小路駅ではほぼ人力で荷物の積み下ろしがなされていましたし、梅小路操車場では貨車を方面別に1両1両組み直して編成していきましたから広大な土地が必要でした。


 

国の重要文化財!ターンテーブル

さて、蒸気機関車は少しくらいはバックできますが基本的にはボイラーを前に走ります。そのためには方向転換をしなければなりません。それがターンテーブル(転車台)という鉄橋のようなものが機関車を載せて回る装置で、梅小路には大型のものが備え付けてあります。そしてそこから延びる線路は放射状になり機関車を収容する車庫も扇形の車庫(扇形車庫)になります。大正3年に竣工した梅小路機関区の扇形車庫は20線分あり、もっとも大型のタイプです。木造なら火災の危険があるというので当時まだ珍しい鉄筋コンクリートで造られました。平成16(2004)年にはクレーンなど付属設備も含めて国の重要文化財に指定されました。

もしかしたら今ごろ平和公園に…?

ところでこれらの施設を上から見るとどんな風に見えるでしょう。円形の周りに放射状に線路が延び、まるで的のように見えます。ご存知のように戦争末期、アメリカの原爆投下計画の候補地のひとつに京都も含まれていたようですが、上空から原爆の投下目標と考えていたのがこの梅小路のターンテーブルだったそうです。その上、地図のように梅小路を取り囲む線路は東海道線・山陰線・貨物線(東海道線から山陰線に直行できる)と三角形が構成されており、その三角の中の円形ですから、絶好の目標だったのです。今、梅小路公園としてにぎわっていますが、歴史の展開によっては平和公園になっていたかもしれません。

もうひとつこの三角線が本当に活用された例を紹介しましょう。昭和28(1953)年、京都~博多間に特急「かもめ」が走りだしました。この列車の客車はシートが進行方向に向って固定されたタイプでしたから、京都駅に到着した列車は図のように梅小路までバックし、貨物線を北上して丹波口駅へ。再びバックして京都駅に戻すと列車全体の向きが変わったのです。なおこの貨物線は、山陰線との分岐箇所が先述の梅小路京都西駅のプラットホームに当たるため、現在は使用されていません。

 昭和46(1971)年、山陰線の京都口の列車をけん引していた蒸気機関車がディーゼル機関車に置き換えられると梅小路機関区は事実上その役割を終えました。ところが翌昭和47年、当時の国鉄が国鉄100年を記念して全国からほとんどの形式の機関車を集めて展示する「梅小路蒸気機関車館」を開館させ、最終的には18形式19両の蒸気機関車が勢ぞろいしました。それが平成28年4月に「京都鉄道博物館」として拡大整備され今日に至っています。

 国鉄からJRに移管される中で鉄道貨物も大幅に合理化され、貨物駅や操車場という広大な土地が不要となりました。そこで梅小路駅の跡地を京都市が都市公園にするために買上げて整備し平成7(1995)年に開園したのが梅小路公園です。

地下鉄建設で出た土砂が眠る梅小路公園

今、梅小路公園はゆったりとした丘陵状になっていますが、平地だった貨物駅の跡地に運び込まれたのが市営地下鉄東西線建設で出た土砂だったのです。この地下鉄は建設費が大幅に増大して問題になりましたが、一方で比較的近い所に残土を処理できる場所があったおかげで相当助かったのも事実です。また建設工事に伴って京都のメインストリートのひとつである御池通のケヤキの木の一部をこの梅小路公園に移植しました。当初は地下鉄東西線が完成すれば元の御池通に戻す計画でしたが、工事が長引いたためにケヤキが大きくなり過ぎそのまま梅小路公園に根付いた木もあるようです。御池通の土と木がそのままセットで梅小路公園を形作っているといっても過言ではないでしょう。
 
 

大迫力!下から見上げる展示方法

 最後に京都鉄道博物館に関して加えておきたいことがあります。同館を訪れた方ならご存知かもしれませんが、館内に2両の機関車を「かさ上げ展示」してあるコーナーがあります。機関車の下にもぐってその仕組みを下から見えるように工夫されているのですが、約100トンもある機関車をわざわざ高い位置に展示してあります。他の車両同様、地面のレベルに置いて車両の下を掘り込めばいいのにと思うのですが、そうすると朱雀大路をはじめ平安京の遺構を壊す恐れがあるためにかさ上げしたそうです。明治以降の鉄道の歴史をいろいろと見ることができる梅小路ですが、その下には「平安時代がある」のです。
 この他梅小路公園にはかつて京都の街を走っていた市電の車両が8両展示(1両は動態)してありますが、これについてはまた機を改めてご紹介しましょう。

(2019.2)

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この記事を書いたライター

 
昭和30年京都市生まれ
京都市総合教育センター研究課参与
鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長

子どもの頃から鉄道が大好き。
もともと中学校社会科教員ということもあり鉄道を切り口にした地域史や鉄道文化を広めたいと思い、市民向けの講演などにも取り組んでいる。
 
|鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長|京都市電/嵐電/京阪電車/鉄道/祇園祭