京都人にとっての「かみ」「しも」って?

 簡単というか、単純なことばではあるが、なかなか難しいことばであるように思うことばに「かみ(上)・しも(下)」がある。そのことば、普段の生活の中で口をついて出るかどうかで、京都人かどうかが分かることばである。この「かみ・しも」は、「うえ・した」ではないし、「じょう・げ」でもない。「うえ・した」、「じょう・げ」は差異であるが、「かみ・しも」は、差異ではなく、位置・方向を表すことばなのである。京都の人は、下鴨神社(賀茂御祖神社)、上賀茂神社(賀茂別雷神社)と言うが、下鴨神社は、「下」は付くが、上賀茂神社の親神である。また、上御霊神社(御霊神社)、下御霊神社とあるが、これも位置関係だけである。そして、その位置・方向関係として、京都では、かみには北という、しもには南という意味、内容を含んでいる。それは、京都がゆるい北高南低でもあるからである。

 こうした関係の中で、中京・下京の人々は、上京以北を「かみ」と呼び、逆に上京以北の人々は、中京・下京を「しも」と呼ぶのである。これは、もともと上京と下京とに分かれていた名残りである。明治の初め、上京区・下京区の区割りでスタートしたが、その歴史としては古く、平安京にその源を求めることができる。

  

上京・下京のなりたち

 平安京における御所の南限には、中心に朱雀門、東に美福門、西に皇嘉門が並び、そこが二条大路であった。この御所の南限より北がかみで、南がしもとなり、二条大路がその境であった。その道幅17丈と記されているので、おおよそ50メートルであるから、今なら御池通りくらいであったと想像できる。

その後、京都では幾多の戦乱が起こり、こうした大路も狭まっていった。中でも応仁の乱以降、かみには各地に散らばっていた織物職人が西陣という地に集まって職人集団を形成し、そして、しもにはその西陣の製品を扱う商業地域ができあがっていく。もちろん御所はかみであるが、こうした流れを汲む概念が京都人にある中で、昭和4(1929)年を迎え、上京区と下京区の分区により左京区、東山区、そして中京区が生まれた。その中京区の南限を四条通と決めたが、大丸を始め、四条通の北側の商店はこぞって中京区になることを嫌い、下京区に据え置かれたままであった。そこには商業地帯という華やかさがついて回り、自ずとしもはきらびやかな世界の代名詞となった。京都人の挨拶に、「きれいにしはって、どこへお行きやすのどす」と言われれば、普通なら、「ちょっとそこまで」と挨拶にならない挨拶を交わすのだが、「ちょっとしもまで」と言えば、そこには、大丸や高島屋を含むきらびやかな世界へとつながって行くのである。昭和20年代に生まれた私自身も、小さい頃、上京区に住んでいたが、しもということばには、繁華街というニュアンスを感じた。しかし、伏見の方を指して、しもという概念はなかった。また、「どこら辺に住んだはるんどす」などと尋ねられれば、「かみの方」と応えていた。私の年代が正にかみ・しもの京都的概念の最後くらいの年代であるように思う。小さい頃、町内の呼び方でも、北にある町内は「かみんちょ」、南にある町内は「しもんちょ」と呼んでいたし、隣の家でも、北にある家は「かみ隣り」、南にある家は「しも隣り」と言っていた。
 

 

あがる・さがる?

 ところで、「かみ・しも」と同じように、京都人かどうかがわかることばに「あがる・さがる」がある。漢字で書けば、「上がる・下がる」という表記になるが、京都の住所表記では、「上る・下る」を使う。普通「上る・下る」は「のぼる・くだる」と読むことが正しいが、「あがる・さがる」と読ませている。「堀川○○上る」は「ホリカワ○○アガル」と読み、「ホリカワ○○ノボル」とは読まない。ここで京都人かどうかがわかるのだが、そこには、東西の通りに対して、「東入る・西入る」という言い方で、東へ行くことや西へ進むことをはっきり示し、南北の通りには、先に書いたような「かみ・しも」の概念に、ゆるい北高南低が重なり、「あがる・さがる」ということばになったように思う。それゆえ、厳しい坂道の概念を示す「のぼる・くだる」という言い方にはならなかったのだろう。

 最近、京都を訪れる人が多くなり、道を尋ねられることもよくあるが、昔なら、四条河原町西入るなら、四条通で河原町から西に入ったところと想像できたし、河原町四条西入ると言われれば、「そんなとこはおへん。河原町四条なら上るか下るかのどっちかどっせ」と言えたが、「下京区○○町はどこですか」と尋ねられても、答えられない。京都人は、千年の都としての誇りの中で生きてきたので、中央政府の表記法など、全く問題にもしなかったが、最近はスマートフォンの普及により、全国並みとなってきたように見える。

  
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この記事を書いたKLKライター

京ことば研究家
西村 弘滋

 
京ことば研究家
故井之口有一・堀井令以知両氏の「京ことば研究会」で、京ことばとことばの採集方法を学ぶ。京ことばの持つ微妙なニュアンスの面白さを追い続けている。

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