大河ドラマ「麒麟がくる」がスタートして2ヶ月あまり。染谷将太さん演じる織田信長も登場し「役者がそろった」感が出てきましたね。現在は美濃国(岐阜県)を中心に描かれていますが、もうしばらくするとドラマの舞台は京の都に移ります。でも意外と知られていないのが戦国時代、とくに信長が上洛する前の京都です。戦国時代の京都はどんな様子だったのでしょうか。ひじょーにザックリと、そして少々デフォルメしていうと「住みたくない街ランキング№1」の街、それが戦国京都だったのです。

こう書いてしまうと、まるで京都をディスる話かと思われるかもしれませんが、さにあらず。織田信長の上洛によって、京都は劇的な変化を遂げます。そのビフォーアフターっぷりをより鮮明にするために、信長上洛前のリアルな京都の姿を知ってもらおうと思ったわけです。それが「麒麟がくる」を2割増しくらいで楽しむ方法でもあります。

戦国時代とはナニモノか?

戦国っていうと英雄がキラ星のごとく集結した時代、というイメージが強いですよね。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、武田信玄・上杉謙信、さらに歴女ブームもあって伊達政宗や真田幸村らの人気も高いです。たしかにドラマやゲーム的にはそうなんですが、実際に暮らしていた人々にとってはどんな時代だったのか?戦国の京都を語る前に、まずは市民目線による戦国時代を知っていただきたいと思います。

市民にとっての戦国時代をひと言でいえば「無政府状態」だと思います。もちろん朝廷もあり幕府もあるので、カタチの上では政府があるのですが、それが機能してなかったのが戦国という時代です。現代の感覚でいえば「消費税を50%くらい払っているのに、街は荒れ放題、社会福祉もないし、ドロボーはきてもケーサツはきてくれない」そんな社会です。なぜそうなったのかを語ると話が長すぎて、書くのはもちろん読まれる方も疲れるので、それは聞かないでください。とにかくザーックリいえば「オレ達の税金はどこにいった?」が戦国時代だと思ってください。

そんな戦国日本にあって、住みたくない街1位にランキングされちゃったのが千年の都・京都であります。えっと、あたり前ですが、タイムマシンに乗って「国民100万人による総選挙!」みたいなアンケートをしてきたわけではありません。「たぶん、そうだったんじゃないかな」という編集部的主観です。それでは、住みたくない街の全然うれしくない1位に輝いたその理由をみていきましょう。

権力者がコロコロ変わり過ぎ!

ひとつ言い忘れていました。戦国時代って室町時代の最後の100年くらいをいいます。つまり京都に天皇がいて将軍もいる状態です。でもそれはタテマエで、実際の権力を握っていたのは天皇でも将軍でもありません。では誰が権力を握っていたのか。カンタンにいえば将軍の部下です。しかも、ヒドい時には将軍の部下の部下の部下が実質の支配者みたいな時もありました。これを会社にたとえると「将軍=社長」として、課長か係長くらいの人が経営の全権を握っている状態です。このワケわからん状況をカッコよく言ったのが「下剋上」なんですね。しかも、その課長だか係長だかは履歴書もないまま、いつの間にかオフィスに自分の机を持っていた…みたいな感じでしょうか。

これは京都だけではなく、どこの地方も似たり寄ったりのことが起こっていました。ただ、京都には形式上とはいえ権威のある天皇と将軍がいたので、その権威を利用してやろうと、全国からツワモノ・チミモウリョウたちが押し寄せてくるわけです。市民としては、メーワク極まりないですよね。いずれにしても、地位や肩書きよりも実態としての権力の座をめぐって政争と戦争がくり返されていた。それが戦国京都の特徴です。

治安が悪すぎ!

まあ、権力者がコロコロ変わろうが、安心して暮らせれば問題ないのですが、そもそも治安がまったくもって悪すぎるのです。応仁の乱で京都が焼け野原となったことは有名ですが、実はその後も同じようなことが度々起こります。さっきいった権力闘争ゆえの戦はまだ理解の範ちゅうだと思いますが、驚きなのは宗教戦争が多発していたことです。

まずは1532年、山科に本拠を置く本願寺が法華宗と争い炎上焼失。本願寺は大坂石山に逃れることになります。そしてこの時は勝者であった法華宗が、4年後には逆に攻め込まれす。比叡山延暦寺の僧兵が京都市中にナダレ込み法華宗21もの寺をことごとく焼き払いました。このとき下京は全焼、上京も1/3が焼け落ち、その被害は応仁の乱以上ともいわれています。そして戦争が起こると、雑兵が乱暴狼藉をはたらくのは古今東西の常。農民も町民も自分と家族を守るために武器を持つようになります。「力こそ正義」がまかり通る北斗の拳みたいな社会だったわけです。

物価が高すぎ!

経済学的にいうと、アベノミクスでも物価UPを目指したように、物価が高いことは必ずしも悪いわけではありません。でも、その物価高の理由がヒドすぎるのです。最大の理由はあらゆる商売が「独占」状態で、価格は売り手の思うがままだったことです。21世紀に入って声高に唱えられるのが「規制緩和」ですが、この時代は逆に規制規制規制規制のがんじがらめ経済で、権力者や有力寺社や豪商のやりたい放題でした。

仮に「私は庶民の味方、価格破壊でより良い品をより安く」みたいなことをいう商人が現われたとしましょう。彼はどうなるか。権力者お抱えの怖~いお兄さんがやってきて「ワレ、調子乗るんもエエかげんにしとかんと世の中、月夜の晩ばっかりやと思とったら大間違いやで!」てな脅し文句を掛けられます。しかもそれがタダの脅しではなく有言実行されてしまうのです。こうして「座」とよばれる仲間内での談合価格は守られ、物価は超高水準をキープするわけです。

「アカンとこどり」の最悪環境

ここまでを整理すると、戦国時代の京都とはこんな社会です。
・治安最悪で自分の身は自分で守らなければならない、究極の自己責任社会
・がんじがらめ規制による超インフレ経済

よく考えると、普通はこの2つが両立しないってわかります?すみません、ここからちょっとだけメンドクサイ話になります。なんでしたら次のブロックの文章は飛ばしもらってもかまいません。


現代の日本では「規制緩和」が求められていますよね。
「規制をなくす→自由経済→物価が下がる」
の図式です。でも一方で
「自由経済→政府が関与しない→企業も国民も自己責任」
が、もれなくセットでついてきます。

言ってみれば
「いろいろ口出しはするけど、そのかわり皆さんの生活を守ります」が規制社会。
「みんな自由にしていいよ。そのかわり自分のことは自分でがんばってね」が自己責任社会です。

規制されるか、自己責任をとるか、フツーはどちらか一方になるはずです。なのにこの時代は、規制だけされて政府は守ってくれない、という「いいとこどり」ならぬ「アカンとこどり」社会なわけです。


はい、ちゃんと読んでいただいた方、お疲れさまでした。とにかく、これだけでもあり得ない話なのに、加えて京都名物の「日本一ムシ暑~い夏と底冷えの冬」が毎年毎年やってくるのです。つまり社会も経済も気候も最悪の環境、それが戦国京都なわけです。

町衆エネルギーと花開く京文化

さて、ここまでお読みいただいた皆さんは、こんな街に住んでみたいと思いますか?んなワケないですよね。でも、何ごともオモテがあればウラがある。悪い面ばっかりでもないんですよ。現代に連なる産業や文化が大きく花開いたのが、戦国時代の京都なんです。

その代表例が西陣織です。応仁の乱で地方に避難していた職人たちが、さまざまな技術を身につけて京の都に戻ってきました。そうして生まれたのが、京都の一大産業となった西陣織だったのです。また千家による茶道、池坊家による華道が確立したのも戦国京都のことでした。さらに銀閣寺が建てられたのも、有名な「洛中洛外図屏風」を狩野永徳が描き上げたのもこの時代です。荒廃した社会だからこそ、人々は美に救いを求めたのかもしれません。

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