この間、病院に検査を受けるために出かけた。家内と一緒であった。
検査にはそれぞれ受けるにあたっての注意がある。しかし、午後一番の検査であり、しかも職場から駆け付けるということから、その注意点をすっかり忘れ、家内と一緒に昼ごはんを食べてしまった。受付の看護師さんから、こっぴどく注意を受けたが、直接腹部が検査対象でなかったため、かろうじて検査は受けることができた。

帰宅して、家内から、検査室へと看護師さんに呼ばれたとき、お父さん何て言うて入っていったと思う、と尋ねられた。そんなことを知る由もなく、首をかしげると、「へぇ、おおきに」って言って入って行ったわ、と笑っていた。

場面からいえば、こちらへって言われて、「はい(わかりました)」というところである。しかし、 そこには何かしら感謝の意も込めなければならない。この場合なら、検査が受けられなくなったかもしれないのに、受けさせてもらえたという思いである。
通常なら「ありがとう」というところだが、それもちょっと変に思える。それに対して、「おおきに」なら、謝意も含んで、すっと行けるのである。いろいろな思いや返事まで込めて使えるのである。

これこそ京ことばなのである。


もはや死語?「お茶があさい」

さて、ここ数年、お茶ブームである。ペットボトルのお茶だけでもいろいろなもの出てきている。数多くのお茶が飲めることは日本人として幸せである。入院時、コンビニに行っては、いろいろなお茶を含んだ飲物があるのを眺めていた。そして、ほうじ茶オレがちょっとしたマイブームになった。退院後もしばらくは飲んでいたが、カロリー過多には勝てなかった。

やはり、急須の日本茶である。しかし、玉露は低温のお湯で、煎茶は高めで、新茶はそれよりもまだ高めでとなかなか難しい。昔、火鉢には鉄瓶が掛けてあって、しゅんしゅんに沸いているお湯を冷まし、お茶を入れては飲んでいた祖父を思い出す。そして何より、そのお茶葉の量を缶筒の蓋を使って計っていた。微妙な量と湯の温度が醸し出すハーモニーが日本茶の神髄である。なかなか奥が深い世界である。

 最近は、住宅事情も変わり、いつも鉄瓶でお湯を沸かしているような火鉢のある家もなく、ポットでお茶を入れるようである。急須に茶葉を適当に入れ、ポットから湯加減もほとんどなく、直接お湯を注いでいる。手間暇かけてお茶をいれるということはなくなってくるとともに、京ことばもすたれてくる。

若いころ、もう3、40年くらい前であるが、あるお宅に伺うと、座敷にお茶とお菓子が運ばれてくる。ご主人が一口飲んで、みずくさいぞと言われたか、うすいと言われたかは忘れたが、奥さんを呼んでいた。すると奥さんが入って来られて、「お茶、あそうてすんまへん」と言って、入れ替えてくださった。

みずくさいは、ご主人の感覚である。でもみずくさい茶は、うすい色でもある。それは事実である。入れた人の責任となるが、「あさい」では、その責任の所在がわからなくなる。だれの責任かをつよく打ち出さず、その場をうまくおさめる京ことばである。本当にお茶を入れるのは難しい。

今やお茶の袋を見てみると抹茶入りとか書かれている。そんなあさいお茶防止のための策のように思えてならない。誰もがいい色合いのお茶をいれることができる。もはや、「お茶があさい」は死語になったように思える。そんな私は、急須でお茶を入れるのではなく、茶葉を粉にするミルを買って、せっせとハンドルを回している。


「相性が合わない」をあらわす「あいふさぎ」

こんな相手を思いやる京ことばもある。それは「あいふさぎ」ということばである。

今年は、新型コロナウイルス対策として三密を避けるということで、年度末から4月、5月と在宅勤務という新しいスタイルの仕事が多くの職場などでは始まった。ということで、人と直接顔を合わせるということが少なかったが、普通なら4月から新しい人が加わったり、人事異動で人の出入りが生じる。

そして、歓迎会やらでその人たちの素顔がだんだんわかってくる。すると、4月末から5月当初のゴールデンウィークとなる。この長い休み中、4月1か月を振り返ると、どうもあいつは気に食わないな、嫌だなといった具体的な場面が思い起こされてくる。それがゴールデンウィークの休みなのである。

新しく来た人も、何となく嫌だな、すかん(好きでない)なとなる。でも直接、Aさんとは性が合わない、などと言ってしまえば、元も子もない。そんな時、「あいふさぎ」ということばで逃れてしまえばよい。「今度来たAさんとはあいふさぎやな」などと言えばよい。

漢字を当てれば、「合い塞ぎ」とでも書くのだろう。元々は、単なる適不適ではなく、相性の適不適である。自分を中心におくのではなく、両方の個性の折り合うぎりぎりのところまで見極め、双方から性格が合う合わないという判断を、客観的に述べることばなのであった。しかし、その意味合いから、今では単に相手と合わないときにも、このことばを使うようになってきたようである。

しかし、それは単に人と人との間の関係だけに使われるものでもない。

うまく根付かない植物などでは、土と相性が合わないときに、また、人と仕事との関係でも言うことがある。四国などに行けば、「あいぶさい」などということばで残っている。

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京ことば研究家
西村 弘滋

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京都市教育委員会 総合教育センター 総括首席指導主事

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