地域によって変わる京ことば

 京都生れ、京都育ちといっても、京ことばという視点から見ると、そのことばを使う職業集団や地域性ということが大きく関わってくる。

おおざっぱな言い方になるが、いわゆる西陣織に関連した職人が集まる地域としての西陣、いわゆる工業地である。
その西陣でできたものを扱う商人が集まる地域としての室町、いわゆる商業地であり、それらを消費する地域が祇園や宮川町などといった地域としての花街となる。
そして、あとは、上賀茂や桂、大原や八瀬、北白川など周辺部の振売りを行う農家がある。

それらの地域で使われている職業集団としてのことばに、御所という、それらとは全く違った世界ではあるものの、広く京ことばに関連する宮中がある。
ゆえに京ことばといっても職業集団や地域によって成立の違いがある。

 

もはや死語?「かにここ」にはいろんな意味が…

 さて、それら職業集団、地域のことばとして、「かにここ」ということばがある。
このことば、大きく三つの意味がある。

一つは、赤ん坊が生後最初に出す便で、大阪などでは、「かにばば」ともいう。

二つ目は、それとは反対に、臨終に際して最後に出す便の意味にも使う。

そして、三つ目のことばとして、「ぎりぎり」という意味で使う。
例えば、「もうあかん(無理だ)と思てましたけど、かにここ間に合うて……。」、「お金がのうて(無くて)、かにここの生活どす」といったように使う。

「ちょっとだけ」という意味もあるようです。

この三つ目の意味は、ほとんどが西陣地域、現在の行政区でいうと、北区、上京区あたり限定で使われていたことばである。今の京ことばの中でも使用頻度の少ないことばである。

私自身は西陣で生まれ育ったので、小さい頃、日常会話で聞いた記憶はあるし、自分でも使ったことはあるし、違和感はないが、今はといわれれば、ほとんど聞かないし使わない。聞かないということは、ほとんどだれも会話で使わないということになる。

推察するに、西陣という職人生活の厳しい実態が推測されるが、今や社会情勢も変わってきており、ことば自体が消えてゆく状況にあるのだろう。

反面、約束の時間にぎりぎり間に合うなどは今でも使われそうだが、如何せん、狭い地域で使われることばとあっては、むべなるかなといったところである。

西陣地域に古くから住んでおられる年配の方に会えば、よく尋ねるのだが、知っている、使ったことがあるという人に会ったことはない。もはや死語になってしまったことばなのかも知れない。

なきまめ=えだまめ?

 そんな西陣の厳しい実態を表すことばに「なきまめ」「あさまいり」ということばもある。
 秋口、ビールのつまみといえば、ゆでたえだ豆であるが、西陣では「なきまめ」と呼んでいた。「うでーまめ、なきまめ」と振売りの声が響くと、奉公人は主人から、「なきまめ食べや」といつ言われるかとびくびくするのである。なぜならそれは夜なべの始まりを意味することばであった。

 また、11月1日、出雲から西陣の氏神である今宮神社の神様も帰ってくる。それを待って参るのが「あさまいり」である。この時季になると、「あさまいりもちこおすな」という挨拶を交わすが、それは、正月に向けての夜なべの始まりを意味する。朝早くから夜遅くまで、しかも寒さも加わっての厳しい西陣の職人の生活を垣間見ることばであるが、今はもう聞かない。

「毒性な」の意味は

 同じようなことばに「どくしょうな」ということばがある。

私にとっては、忘れてしまったというより、ほとんど聞いたこともない、使ったこともないことばである。ならどこで聞いたり、使ったりしたかと尋ねられれば、京ことばの研究会の集まりで、そのことばを取り上げて話し合ったときくらいである。重く低い声で「どくしょうな」と聞いた時、あまりいい響きでなかったことを思い出す。

漢字で書けば、「毒性な」となり、毒な性質があることがわかる。
それに字面を見ただけで、良い意味合いのことばでないことは想像がつく。

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この記事を書いたKLKライター

京ことば研究家
西村 弘滋

 
京ことば研究家
故井之口有一・堀井令以知両氏の「京ことば研究会」で、京ことばとことばの採集方法を学ぶ。京ことばの持つ微妙なニュアンスの面白さを追い続けている。

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