神輿三若2021

「お神輿っさん、来ゃぁはったで」と子供たちが家の奥に向かって呼びかける。その声を待っていたかのように、奥から車椅子に乗ったお祖母さんを押しながら家の方々が表通りに出てこられる。「ホイット、ホイット」と神輿の掛け声が遠くから響いて来、だんだんと近づいてくる。やがて金色に輝いた中御座神輿が家の前へゆっくりとその姿を現し、家の方々は目の前を通り過ぎようとする神輿に各々の神さんへの想いをこめて手を合わせられる。その想いに答えるかのように神輿は上下に波打つように揺れながら通り過ぎていく。
 これは、我々「三若神輿会」が御奉仕する中御座神輿が7月24日の還幸祭に巡行する大宮通や三条通でよく見られる風景である。祇園祭が創始されて約1150年間、繰り返し見られたであろう風景である。しかしこの風景を昨年度と今年は見られない。新型コロナ蔓延防止の対策として「神輿渡御」は中止となったからだ。

Photography by 薬師洋行

ただ、八坂大神は白馬の上の神籬に遷られ渡御されることとなっている。洛外の八坂神社から洛中の御旅所に神さんを迎える神幸祭、そして御旅所でもてなし、再び八坂神社へ送る還幸祭を神輿に遷られる事なく行なう事で疫病退散を願う祭りとしての本義を護ろうとするのである。しかしながら、その神幸と還幸の行列に参列していても我々神輿に関係している者にとっては、頭では祭りの本義を理解できても気持ちの片隅にはやはり寂しさと物足りなさはぬぐいきれない。これは「三若神輿会」の役員だけでなくそこに参加する輿丁の者達にとっても同様の気持ちである。昨年度(令和2年)の祭りにおいては輿丁の者達は祭りの正装である法被に身を清め、白馬に遷られた神々を追って、辻々に集まり手を打ち神々を迎えてくれた。八坂神社の石段下では折からの土砂降りの雨の中神輿のお迎えを行なってくれた。彼らの八坂大神に対する熱い奉仕の気持ちには頭の下るものがある。

しかし、彼ら輿丁における祇園祭の本義とは、その肩に神輿の重さを感じる事であり、心に突き刺さる神さんの重さを受け止めることである。そこに中御座輿丁としてのプライドがあり、何の見返りも無いなかで、蒸し風呂のような7月の京の暑さの中で玉の汗を流し苦しさに耐え、神輿を飾る提灯の揺らぐ光と影に神の姿を見いだす悦びがある。輿丁にとって、白馬に遷られた神さんを遠目に仰ぎながら、打ち手と掛け声だけで彼らの気持ちが神に届いたとは、そして神さんが満足されたとは思えないのである。
今年も2月頃から今年の祇園祭の動向について輿丁達と話しあう機会が多くあった。新型コロナの状況が一向に改善せず先行きの見通しが暗い中、そんな中でふと気付かされる事がある。口々には神輿を担げない悔しさ、情けなさを表す言葉が発せられるが、彼らの瞳の奥には何か悦びのようなものが見いだされる。彼らにとって、神さんへの奉仕の心を真剣に話しあえること、またその経験を語り合える仲間がいることが悦びとなっているのだ。唯々祭の話ができること。それが彼らの悦びなのだ。それは輿丁だけではなく三若神輿会の者たちも同様である。また、祇園祭を支える多くの人々も同様かもしれない。神さんと向き合い、祭りの事だけを考える時間、それが彼らの心の奥に潜む至福の時間なのだ。

Photography by 薬師洋行

すばらしい輿丁、そして応援してくださる多くの氏子の人々によって、我が「三若神輿会」は支えられている。その始まりは江戸時代の初期、二条城の南の地区である三条台村の有力者を中心に地域の振興と祗園祭神輿渡御に御奉仕する目的で組織され始まった。爾来約350年、会所を定め、会則を守り、神輿渡御の維持継続に勤めてきた。時に先人達は私財をなげうってでも神さんへの御奉仕にいそしんだ。明治にはいり祇園祭の存続が危ぶまれたおりにも、中御座神輿と西御座神輿の2つの神輿に御奉仕し守り通した。現在は中御座神輿のみの御奉仕としている。この三若神輿会は約45名程の組織で成り立っており、長い時代の中で離れていった家もあるが、残った代々の家族のものが現在も所属している。輿丁は12のグループのみこし会として登録されており、総数では約850名近くとなっている。地縁・人縁で集まった輿丁は京都・大阪・滋賀・奈良に住するものが多いが、中には遠く関東地方・九州地方からも参加するものも居る。また留学生等京都に縁のある外国人の参加も見られる。

Photography by 薬師洋行
Photography by 薬師洋行

このような熱い気持ちを持つ人々によって成り立つ神輿渡御ではあるが、昨年今年と続く新型コロナ蔓延の状況のように、時代の流れや社会の風潮の移り変わりには抗じきれない状況におちいることもある。歴史的に見ても古くは応仁の乱やまた太平洋戦争における戦火による中断、大火事・洪水などの災害に寄る中断などがあるが、先人達は何らかの工夫と努力を重ね祭りを引き継いできた。我々もそれにならい、譲れるものと譲れないもの、護らなければならない事とそうでない事の見極めをしっかりと行い受け継いだこの伝統を絶える事なく未来へと引き継いでいかなければならないと肝に銘じている。

「ホイット、ホイット」の力強い掛け声と、賑々しい神輿振、そして夕日に輝く金色の神輿と夜闇に揺れる神輿提灯の光と影、祇園祭を愛する多くの人々に来年こそは喜んでもらえる神輿渡御が行なえる事を願って。
「ヨーイトセノ」(チャ・チャ・チャ)
「ヨーイトセノ」(チャ・チャ・チャ)
「ヨーイトセノ」(チャ・チャ・チャ)

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この記事を書いたライター

昭和28年4月12日生まれ
20代より三若神輿会に入会
平成26年より会長に就任、現在に至る。

|三若神輿会 会長|祇園祭/三若神輿会/神輿御渡