お火焚きのお菓子と100年前のはやし歌 ~京都の生活行事と宮中の不思議なつながり~【京都人度チェック】
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お火焚きについておさらい
さて、今回はお火焚きのお話の2回目です。お火焚きの美味しいお菓子と今はほぼ誰も知らず歌われんようになったはやし歌についてお話しましょう。その前にまず前回のおさらいからしときましょね。
「お火焚きには何をしますか?」ていうのが京都人度チェック①の質問でした。
答えとしては、
・11月に神社やお寺に行って火焚串に願いを書いて焚き上げてもらい、五穀豊穣の感謝をする。
・火によって穢れを清め、来年の商売繁盛・家内安全などを祈願する。
というのが大きなところやったでしょうか。
そしてそれは神社やお寺だけやなく、町内や個人、火を扱うお仕事のお家で行われたということです。昔ほどたくさんではないですけど、今でも町内でやったはるところがあるんですよ。
そのあと、このお火焚きがどうやって行われるようになったかを調べると、どうやら宮中のお祭が関係しているらしいことがわかりました。まず公の行事である「新嘗祭(しんじょうさい・にいなめさい)」が民間に伝わったのではないかと。それはお米などの収穫を終えた後の旧暦11月に行われ、これも五穀豊穣を感謝するお祭りでした。そしてもう1つ、宮中には私的なお祭りとして五穀豊穣などに感謝する御神楽や御霊神社の神様へ捧げる奥向きの神事があったということでした。
お火焚きと新嘗祭を比べてみると、新嘗祭には火を焚きませんが五穀豊穣の願いや感謝の対象は同じ、また宮中の私的なお祭と比べるとこれはどちらも火を焚くところが共通点ですね。御霊神社さんのお火焚祭は御神楽を模して行われたといういわれを聞いてますますわからなくなった結果、私はお火焚きが「これが起源!」とは言えへんかったのですが、まぁまぁこのあたりやろなぁとお茶を濁して終わったのが前のお話やったということです。
我ながら複雑な図を書いてしまいました。しかしこれを見ると、なんとなくですがわかったような気になるのです。
京都人度チェック② お火焚祭のお楽しみ!
さて、前置きが長うなってしまいましたが、ここからはお菓子と歌のお話をしましょうね。
ここで2つ目の京都人度チェックをやってみましょう。
②お火焚きでは、最後におさがりとしてもらえるものが3つあります。それは何でしょうか?
これはネットで検索したらすぐに出てくる答えかもしれませんが、さて、実際にもらわはったことはあるでしょうか?
はい、答えは
「おこし・おみかん・お火焚きまんじゅう」の3つです。
昔はこれが子どもらにとって贅沢なお菓子やったんでしょうね。それにしてもちょっと不思議な組み合わせやと思わはりませんか?そこでふと思いついたのは、このお菓子たちがお火焚きの願い事を象徴しているのやないかということです。1つずつ見てみましょか。
おこしは「今年穫れたお米をお供えしたおさがりで作らはった」という意味を表しているように思えます。「五穀豊穣」と関係あるのは間違いないでしょうね。配りやすいのもおこしの良いところです。しかし最近はおこしってホンマに食べんようになってしまいましたね。そやけどこんな時にちょっと食べてみると美味しい。ポン菓子を飴で固めただけやしそんなにカロリーも無い。それによう噛まんと食べられへんのでダイエットにもなるし、ヘルシーなお菓子としてもっと出回ってもええのになと思います。
みかんはお火焚きの神事が終わってから、火が消える前に焼いていただくことが多いですね。食べたら風邪ひかへんとか言いますが、おみかんの皮は漢方薬の陳皮として使われるので、昔の人もおみかんが風邪に効くことをよう知ったはったんでしょうかね。ということで、おみかんは「無病息災」のご利益ジャンルのおさがりとして考えましょうか。おみかんは昔きっと冬に配れる数少ない果物やったでしょうし外したくないでしょうね。
そしてお火焚きまんじゅうは私が「お火焚きのおさがり」で一番欲しいお菓子です。薯蕷(じょうよ)饅頭のような高級なイメージはないけれど、こしあん入りの蒸しまんじゅうはお味がやさしくて美味しい。この時期お火焚きの神事でもらえるだけやなくて、市内のお饅屋さんにはどこでもこのお饅が並んでて、お火焚きに行かんでも食べてしまいそうです。
お火焚きまんじゅうにはこんな焼き印が押してありますよ。
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このマーク見やはったことありますか?「火焔宝珠」というそうです。「宝珠」は文字通り「宝の玉」の意味で仏塔や五重塔の上にある九輪という飾りのてっぺんに付いています。でもそんな高いところにあったら確認してもらえへんので別のを探してみましたら、如意輪観音さん(注1)が手に持ったはりました!あ、ごめんなさい、如意輪観音さんてお手々いっぱいあって分かりにくいですね。胸のあたりにある手の上に乗せたはる玉です。この玉は「思い通りに宝を出す」という力があるということで、ご利益ありそうですね!
では、もっぺんお火焚きまんじゅうの焼き印を見ましょ。この宝珠に火が付いた形となっているのが火焔宝珠です。火が気前良う3つも付いてます。
これは「縁起のええもん」ということから、「焔(ほむら)宝珠」の名で家紋としても使われています。
お火焚きなので「火」が付いている。つまり「火に感謝し、火から守ってもらうようにお願いする火伏せ」のご利益を連想させるマークということになります。仕事で火を使うお家にはぴったりのおさがりです。また普通のお家でも火事除けなどのご利益があることを表しているでしょうし、火によって焼き清めるということで災厄が消えていくようお願いをしているわけです。もちろんおまんじゅうは美味しいので、実際はもろたらそんなこと考える前に消えてしまいますけどね。
以上私の連想で挙げた願い事は
「おこし」は「五穀豊穣」
「みかん」は「無病息災」
「お火焚き饅頭」は「火除け」「災厄消滅」
というところでしょうか。昔からお火焚きにやってきた人たちが欲しいと感じるもの、それが表現されていたのではないかと思いました。
宮中でも歌われたはやし歌
さて3つ目の京都人度チェックです。今度は歌ですよ。
③お火焚きに歌われていたはやし歌はどんなものでしょうか?
いやこれ、たぶんわからんと思います。私も歌わへんし、今歌ってる人知りません。
「いやいや鳴橋さん、わからないもの出題しないでよ!」て言わはるかもしれませんが、これは私が是非話題にしたかったものなので、堪忍してくださいね。なかなかレアな話題になるかと思います。
まずこの歌を歌った時代はかなり昔です。これからそれをご説明するのですが、昭和ですらありません。100年ほど前にはなるでしょうか。そのころ、町内や家でお火焚きをするとき神事の祝詞などではなく一般の人が歌うはやし歌があったのやそうです。
私も子どものころたしかに歌を聞いたことがありました。そやけどそれはお火焚きの行事の時聞いたのではなく母からでした。でもその歌はとぎれとぎれにしか覚えてなかったんです。というのもお火焚きていうのは京都全体の人というよりはお商売人さんがやることという認識やったからです。母も歌は歌ってくれましたけど、前回にも書いたように私が生まれたころにはもう商売はしておらず、お火焚きとは縁がなくなっていたのでいつしかそんな話があったことすら忘れてしまっていました。
そんなある時、知り合いの方からお火焚きの歌を教えていただいたのをきっかけに、改めてしっかりと調べることになったのです。歌は2種類あって、それぞれに分かったことがありました。
1つ目は私が母から聞いた歌。その歌が確かに歌われていたということがわかりました。それはこんな歌でした。
「焚~け焚~けお火焚きのうのう、み~かん、まんじゅう欲~しやのうのう。」
母から聞いた歌はもう少し省略された形でしたが、これを見て私の頭の中でもつながりました。「あ~やっぱりこれやったんや~!」って。取り立てて珍しいことはない歌なのでどこでも歌っていそうですが、私は母から聞いた以外は直接聞いたことは一度もありませんでした。おみかんやおまんが欲しいて歌うのが恥ずかしなったのかもしれませんね。ここにご紹介した歌は明治期の商家の奥さんが書いた日記(注2)の中にありました。まさに生活の1シーンの中で歌われていた歌やということで大変リアルな感覚を受けました。
2つ目は、最初に知り合いに教えていただいた歌。その歌が御霊神社さんに関係があったことがわかったのです。この歌は1つ目の歌とはちょっと出だしが違うんですよ。
「御霊どんの、お火焚きのうのう、蜜柑、饅頭ほしやのうのう。」(注3)
私らが聞いた歌と違うところは1カ所、そう、最初の部分です。「焚~け焚~け」が「御霊どんの」になってますね。この「御霊どんの(注4)」というのは、皆さんお分かりかもしれませんが「御霊神社さん」のことです。この歌は宮中のお火焚きの時に歌われてたそうなんですよ。出典の本は長い間宮中にお勤めされた女官の方が思い出話として書かれたものなので、内容は間違いないと思います。御霊神社さんは天皇家の産土神(うぶすなかみ)さんやということで、天皇さんが東京に行かはる前からやったはった習わしごとらしいと書いてありました。しかもこれは天皇さんや皇后さんまで参加したはったというから驚きです!
「分類京都語辞典」にはこんな記述があります。(注5)
「御火たきは十一月八日に、宮廷の産土神(うぶすな)である御霊神社の神へ捧げる奥向行事で大正時代まであった。」
そしてその後にはこのはやし歌が書かれていました。ということはこの本に書かれている行事こそその行事やったということが言えるのではないでしょうか。また記述には「大正時代まであった」とあるところをみると、これは100年くらい前までの行事のようです。私の母は大正生まれなので、親から聞いたかひょっとしたらまだどこかで歌ったはったところがあったのかもしれませんね。
そしてなんと三島由紀夫「春の雪」の一節(注6)にも同じ歌を見つけましたよ。
…それは十一月十八日に行われる古い行事で、主上のおん前で、天井に届くほど火鉢に高く火を焚いて、白の袿袴(けいこ)の命婦がこう唱えるのである。
「焚ァき、焚ァき、お火焚きのう、御霊どんのう、お火焚きのう、蜜柑、饅頭、欲しやのう…」
いくら小説でもこのあたりのお話は勝手に創作できる部分ではないので、これもかなり信ぴょう性が高いのではないかと思われます。歌の文言にちょっと違いはあるけれど、この歌には明治時代の商家で歌われた歌詞も宮中での歌詞も含まれています。ということは、やはりこのお火焚きのはやし歌は宮中から伝わってきたとみるのが自然やと思いませんか?
お火焚きのまとめ図に、歌が民間へ伝わってきた流れを示す矢印をこんなふうに繋いでみました(図中央)。
もしこの通りやとしたら、またまた御所の古き習わしを京都の人が漏れ聞いて真似した結果やということになりますね。
お火焚きと京都人の関係
宮中で行われている、あるいはかつて行われていたという複数の行事が合わさって、寺社や京の町の人・お商売人へ伝わったお火焚き。そこで祈願される五穀豊穣や家内安全・火難除けなどは、どんな身分の人でも同じように願わずにはいられんことですから、民間の京都人もその行事を真似ていったのではないでしょうか。
お火焚きは火をあげるシーンが派手なパフォーマンスに見えがちですが、そこにある願いこそが大事。そやしそんなに高価でもなく珍しいものでもないおさがりをありがたくいただくのです。その気持ちは、はやし歌の中におみかんやおまんじゅうがしっかり入っていたことからも分かるような気がします。年の暮れに近づきつつある11月に、個人の、町内の、そしてみんなの願いがこもったお火焚き饅頭をいただきながら今年1年の感謝をしたいですね。
今度神社で大きな火を見たら、お火焚きの歌を思い出して眺めます。どんな思いでおみかんやお饅頭が欲しいと思わはったのか、100年前の情景を思い浮かべながら。
(1)兵庫 西国三十三所第27番 圓教寺 参道の観音像14番 如意輪観音
(2)「明治四十三年京都-ある商家の若妻の日記」中野卓著 p.215
(3)「女官」山川三千子著 p.189-190
(4)同 「御霊様」でなく「御霊どん」と言うのは「天皇家のお家」であるからだと書かれています。
(5)「分類京都語辞典」井之口有一・堀井令以知共編 p.121 他に「町家の京言葉分類語彙篇 明治30年代話者による」寺島浩子著 p.103
(6)「春の雪」三島由紀夫著 p.393 かつて御所勤めをしていた一老(役職名)が、火鉢で火を高く焚きながら唱えた「呪文」をまねて見せた、という描写より。
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「鳴橋庵」店主。
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