このマーク見やはったことありますか?「火焔宝珠」というそうです。「宝珠」は文字通り「宝の玉」の意味で仏塔や五重塔の上にある九輪という飾りのてっぺんに付いています。でもそんな高いところにあったら確認してもらえへんので別のを探してみましたら、如意輪観音さん(注1)が手に持ったはりました!あ、ごめんなさい、如意輪観音さんてお手々いっぱいあって分かりにくいですね。胸のあたりにある手の上に乗せたはる玉です。この玉は「思い通りに宝を出す」という力があるということで、ご利益ありそうですね!

撮影:acsunifu23氏

では、もっぺんお火焚きまんじゅうの焼き印を見ましょ。この宝珠に火が付いた形となっているのが火焔宝珠です。火が気前良う3つも付いてます。

これは「縁起のええもん」ということから、「焔(ほむら)宝珠」の名で家紋としても使われています。

▲焔(ほむら)宝珠

▲焔(ほむら)宝珠

お火焚きなので「火」が付いている。つまり「火に感謝し、火から守ってもらうようにお願いする火伏せ」のご利益を連想させるマークということになります。仕事で火を使うお家にはぴったりのおさがりです。また普通のお家でも火事除けなどのご利益があることを表しているでしょうし、火によって焼き清めるということで災厄が消えていくようお願いをしているわけです。もちろんおまんじゅうは美味しいので、実際はもろたらそんなこと考える前に消えてしまいますけどね。

以上私の連想で挙げた願い事は

「おこし」は「五穀豊穣」
「みかん」は「無病息災」
「お火焚き饅頭」は「火除け」「災厄消滅」

というところでしょうか。昔からお火焚きにやってきた人たちが欲しいと感じるもの、それが表現されていたのではないかと思いました。

宮中でも歌われたはやし歌

さて3つ目の京都人度チェックです。今度は歌ですよ。

③お火焚きに歌われていたはやし歌はどんなものでしょうか?

いやこれ、たぶんわからんと思います。私も歌わへんし、今歌ってる人知りません。
「いやいや鳴橋さん、わからないもの出題しないでよ!」て言わはるかもしれませんが、これは私が是非話題にしたかったものなので、堪忍してくださいね。なかなかレアな話題になるかと思います。

まずこの歌を歌った時代はかなり昔です。これからそれをご説明するのですが、昭和ですらありません。100年ほど前にはなるでしょうか。そのころ、町内や家でお火焚きをするとき神事の祝詞などではなく一般の人が歌うはやし歌があったのやそうです。

私も子どものころたしかに歌を聞いたことがありました。そやけどそれはお火焚きの行事の時聞いたのではなく母からでした。でもその歌はとぎれとぎれにしか覚えてなかったんです。というのもお火焚きていうのは京都全体の人というよりはお商売人さんがやることという認識やったからです。母も歌は歌ってくれましたけど、前回にも書いたように私が生まれたころにはもう商売はしておらず、お火焚きとは縁がなくなっていたのでいつしかそんな話があったことすら忘れてしまっていました。

そんなある時、知り合いの方からお火焚きの歌を教えていただいたのをきっかけに、改めてしっかりと調べることになったのです。歌は2種類あって、それぞれに分かったことがありました。

1つ目は私が母から聞いた歌。その歌が確かに歌われていたということがわかりました。それはこんな歌でした。

「焚~け焚~けお火焚きのうのう、み~かん、まんじゅう欲~しやのうのう。」

母から聞いた歌はもう少し省略された形でしたが、これを見て私の頭の中でもつながりました。「あ~やっぱりこれやったんや~!」って。取り立てて珍しいことはない歌なのでどこでも歌っていそうですが、私は母から聞いた以外は直接聞いたことは一度もありませんでした。おみかんやおまんが欲しいて歌うのが恥ずかしなったのかもしれませんね。ここにご紹介した歌は明治期の商家の奥さんが書いた日記(注2)の中にありました。まさに生活の1シーンの中で歌われていた歌やということで大変リアルな感覚を受けました。

2つ目は、最初に知り合いに教えていただいた歌。その歌が御霊神社さんに関係があったことがわかったのです。この歌は1つ目の歌とはちょっと出だしが違うんですよ。

「御霊どんの、お火焚きのうのう、蜜柑、饅頭ほしやのうのう。」(注3)

私らが聞いた歌と違うところは1カ所、そう、最初の部分です。「焚~け焚~け」が「御霊どんの」になってますね。この「御霊どんの(注4)」というのは、皆さんお分かりかもしれませんが「御霊神社さん」のことです。この歌は宮中のお火焚きの時に歌われてたそうなんですよ。出典の本は長い間宮中にお勤めされた女官の方が思い出話として書かれたものなので、内容は間違いないと思います。御霊神社さんは天皇家の産土神(うぶすなかみ)さんやということで、天皇さんが東京に行かはる前からやったはった習わしごとらしいと書いてありました。しかもこれは天皇さんや皇后さんまで参加したはったというから驚きです!

「分類京都語辞典」にはこんな記述があります。(注5)

「御火たきは十一月八日に、宮廷の産土神(うぶすな)である御霊神社の神へ捧げる奥向行事で大正時代まであった。」

そしてその後にはこのはやし歌が書かれていました。ということはこの本に書かれている行事こそその行事やったということが言えるのではないでしょうか。また記述には「大正時代まであった」とあるところをみると、これは100年くらい前までの行事のようです。私の母は大正生まれなので、親から聞いたかひょっとしたらまだどこかで歌ったはったところがあったのかもしれませんね。

そしてなんと三島由紀夫「春の雪」の一節(注6)にも同じ歌を見つけましたよ。

…それは十一月十八日に行われる古い行事で、主上のおん前で、天井に届くほど火鉢に高く火を焚いて、白の袿袴(けいこ)の命婦がこう唱えるのである。
「焚ァき、焚ァき、お火焚きのう、御霊どんのう、お火焚きのう、蜜柑、饅頭、欲しやのう…」

いくら小説でもこのあたりのお話は勝手に創作できる部分ではないので、これもかなり信ぴょう性が高いのではないかと思われます。歌の文言にちょっと違いはあるけれど、この歌には明治時代の商家で歌われた歌詞も宮中での歌詞も含まれています。ということは、やはりこのお火焚きのはやし歌は宮中から伝わってきたとみるのが自然やと思いませんか?
お火焚きのまとめ図に、歌が民間へ伝わってきた流れを示す矢印をこんなふうに繋いでみました(図中央)。

もしこの通りやとしたら、またまた御所の古き習わしを京都の人が漏れ聞いて真似した結果やということになりますね。

お火焚きと京都人の関係

宮中で行われている、あるいはかつて行われていたという複数の行事が合わさって、寺社や京の町の人・お商売人へ伝わったお火焚き。そこで祈願される五穀豊穣や家内安全・火難除けなどは、どんな身分の人でも同じように願わずにはいられんことですから、民間の京都人もその行事を真似ていったのではないでしょうか。

お火焚きは火をあげるシーンが派手なパフォーマンスに見えがちですが、そこにある願いこそが大事。そやしそんなに高価でもなく珍しいものでもないおさがりをありがたくいただくのです。その気持ちは、はやし歌の中におみかんやおまんじゅうがしっかり入っていたことからも分かるような気がします。年の暮れに近づきつつある11月に、個人の、町内の、そしてみんなの願いがこもったお火焚き饅頭をいただきながら今年1年の感謝をしたいですね。

今度神社で大きな火を見たら、お火焚きの歌を思い出して眺めます。どんな思いでおみかんやお饅頭が欲しいと思わはったのか、100年前の情景を思い浮かべながら。

注:
(1)兵庫 西国三十三所第27番 圓教寺 参道の観音像14番 如意輪観音
(2)「明治四十三年京都-ある商家の若妻の日記」中野卓著 p.215
(3)「女官」山川三千子著 p.189-190
(4)同 「御霊様」でなく「御霊どん」と言うのは「天皇家のお家」であるからだと書かれています。
(5)「分類京都語辞典」井之口有一・堀井令以知共編 p.121 他に「町家の京言葉分類語彙篇 明治30年代話者による」寺島浩子著 p.103
(6)「春の雪」三島由紀夫著 p.393 かつて御所勤めをしていた一老(役職名)が、火鉢で火を高く焚きながら唱えた「呪文」をまねて見せた、という描写より。

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鳴橋庵 店主・京都上京KOTO-継の会 会長
鳴橋 明美

 
上京の、形になりにくい文化(お祭・京都のおかず・伝統工芸・京ことば)の継承のお手伝いをする「京都上京KOTO-継の会」会長。
「鳴橋庵」店主。
「能舞台フェスタ in 今宮御旅所」実行委員会会長。

組紐とお抹茶体験を鳴橋庵店舗にて行っております。
合間合間に京都のお話を挟みつつ、楽しく体験していただけます。
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