でもまぁ、「京と坂東武者」というテーマだから、碓井貞光について少し紹介しよう。

貞光の主人である、源頼光公は軍事を専門とする貴族。いわゆる「軍事貴族」としての武士だ。「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」で有名な藤原道長(ふじわらの みちなが)卿に仕えた。

頼光公は元を辿ると清和天皇に行き着く「清和源氏」の棟梁である。そして、頼光公の弟にいたのが源頼信(みなもとの よりのぶ)公。この頼信公の子孫が頼朝様である。

碓井貞光は頼光公の下で酒吞童子退治や巨大な毒蛇を退治したり、金太郎をスカウトしたりと活躍していた。

そんな碓井貞光と同一人物説のある平忠通もまた、頼光公に仕えていたのだが、ある日から頼光公の弟である頼信公に仕えることになった話が『今昔物語』にある。

ある日頼光公の弟頼信公に「ある男を討て」と命じられる。忠通にとっては知らない人だし、主人の命ではないのでスルーしていた。

ある時その男と出会い、経緯を説明して討つ意志はない事を伝えた。

しかしその男は「ま、お前じゃ俺を討ち取れないだろうしなぁ」と見下したように言ったため、忠通は怒って討ち取った。そしてこの浅はかな男を討てと頼信公が言った理由を理解し、思慮深い頼信公に仕えることにした。……という話だ。

 

坂東武者と京武者の縁

そういう経緯で、忠通の子孫である坂東武者たちは頼信公の子孫に代々仕える縁ができたのだが、『今昔物語』は平安時代末期~室町時代にかけて成立した「物語」であるから歴史的事実かどうかと問われると、ちょっと言葉を濁らすことになるのだけれど……ごにょごにょ。

まぁなんにせよ、この「平将門の乱」から「京と坂東」と「源氏と坂東武者」の長い長い叙情詩が始まったのだ! なのでしばらくお付き合い頂きたい。

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この記事を書いたKLKライター

鎌倉御家人
三浦胤義bot

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 まるで見て来たかのように当時の事を語るが、「そういう設定なんだな」と思って生暖かい目で見て欲しい。

思考がどうしても坂東武者寄りなので、ぶぶ漬けを「どんな料理だろう」とワクワク待ってしまう。

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承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 まるで見て来たかのように当時の事を語るが、「そういう設定なんだな」と思って生暖かい目で見て欲しい。

思考がどうしても坂東武者寄りなので、ぶぶ漬けを「どんな料理だろう」とワクワク待ってしまう。

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