見どころがいっぱい!北野天満宮 2
23.御土居 都を守った土塁と堀
天下人になった秀吉が、天正19年(1591年)戦乱で荒廃した京の都の大改造に着手した。その一環として総延長22.5㎞の土塁と堀で町を囲んだ。
西は紙屋川沿いに築いたので境内にその土塁が残っている。
紙屋川沿いの土塁には、洛中に溜まった水を暗渠を施して、洛外に排出する「悪水抜き」の遺構が現存する
北門の北側の平野鳥居前町には、整備された御土居が見られる。
24.東門、北門
豊臣秀頼が慶長12年(1607年)に造営した。国の重要文化財に指定されていて、門の構造は四脚門、切妻造、銅板葺になっている。
東門・西門前では毎月25日の天神さんの縁日には、多くの古美術品店などの露天商で賑わう。
東門同様の造りである。門前には西陣織りの発展に貢献した五世伊達弥助を讃えた「西陣名技碑」が立っている。
25.明智の鳥居
東門を入った北側に、竃社がありその前の鳥居は明智の鳥居といわれ、「明智氏、光隆」の銘がある。鳥居は明智氏の末裔が奉納したものと思われる。
26.山国隊奉納の石燈籠
明治維新に際し、農民兵として錦の御旗を掲げて従軍し、幾多武勲を輝かしたのが、右京区京北山国町の山国隊である。今でも秋の時代祭りの先頭を鼓笛隊が行進する。
その山国隊が奉納した石燈籠が本殿の北東の隅にある。
【歴史愛好家シリーズ】この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます
▶︎[船岡山の光と影]清少納言も愛でた市内北部のランドマーク▶︎[城郭寺院ー金戒光明寺ー]アフロな地蔵?
▶︎[京見峠と氷室ー堂ノ庭城ー]昔の氷の保管場所、氷のかわりに食べていた○○
▶︎[豊臣秀次と瑞泉寺]処刑場は、今やカップルの憩いの場
関連する記事
橋本 楯夫
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。
|自称まちの歴史愛好家|北野天満宮/今宮神社/千本通/明智光秀/怖い話
アクセスランキング
人気のある記事ランキング