『源氏物語』宇治十帖における薫、匂宮、浮舟の三角関係

『源氏物語』の主人公・光源氏亡き後、光源氏の子「薫(かおる)」(と周囲には思われているが、実際は光源氏の妻の一人・女三宮と他の男性の間に生まれた子。かつて光源氏が父・桐壺帝の後妻に横恋慕し、不義の子・冷泉帝を産ませたことの報いと言われる)と、彼をライバル視する今上帝の第三皇子「匂宮(におうのみや)」が登場する。

恋多き青年・匂宮に対し、薫は出生への疑念から仏道に帰依する真面目な青年であったが、あるとき宇治の地にて美しい姉妹を垣間見、その姉・大君(おおいぎみ)に一目惚れする。
彼女らの父が儚くなったことを受けて猛烈アタックし、同時に匂宮も妹の中君(なかのきみ)を妻とするが、病弱な大君は亡くなってしまう。

そんな折、姉妹の異母妹に当たる「浮舟(うきふね)」が現れる。
薫は大君に生き写しの浮舟を宇治の屋敷に囲うが、常に薫と張り合う匂宮も浮舟を奪おうとして、彼女と共に舟で宇治川を渡り、別の屋敷へ連れて行くなどする(朝霧橋の像はこの場面を描く)。

穏やかで真摯な薫・浮気性だが情熱的な匂宮の間で板挟みになった浮舟は、薫に匂宮との関係を知られたことにより、宇治川に入水(その後一命をとりとめたが、仏門に入り薫との再会は拒絶する)。

なお、原作でこの場面は具体的に語られないが、大和和紀による漫画化作品『あさきゆめみし』では、宇治川の暗い流れを恐れながらも引き寄せられる浮舟や、浮舟の入水後に「水に入る勇気がおありなら、どうして生きてくれなかったのか」と浮舟付き女房が嘆く姿も描かれる。

(ちなみに、80年代頃に描かれた『あさきゆめみし』も古典に感じられる人には花園あずきによる漫画化『はやげん! 〜はやよみ源氏物語〜』が一冊にまとまっていておすすめである。)

「とすると、これが宇治川か……この橋から流れを見下ろせば、『イケメンに挟まれて苦悩する浮舟』体験ができるわけだな!」

そんな調子で意気揚々と歩を進め、朝霧橋の半ばで立ち止まって、欄干越しに川面を見下ろしてみたところ、しばし言葉を失った(※ひとり歩きで誰とも喋ってはいないのだが、脳内でも一瞬絶句したのである)
——いやあ、こりゃ速い! こりゃ身投げもドラマになるわ! と妙な納得をしながら、しばしその流れに見入った。

前日までの雨の影響もあったと思うが、不透明な緑青色の水がまさにどうどうと、次から次へと流れ去っていくのである。
地元の川とも、鴨川とも、それから先日行った貴船の川とも、また全然違う迫力があった。
他の川と同様、いつも人の営みのそばを流れながら、きっぱりと馴れ合いを拒絶している……あくまでイメージだが、そんな強さを感じずにはいられなかった。

「宇治川が日常と非日常の境だったわけだ」

実際に目の当たりにしてみて、宇治十帖での描かれ方にも納得がいった気がする。この野生的な流れゆえに、宇治川は京の貴族世界と宇治の幻想的な世界を分ける、境界線の役割を果たしているのだなと(帰りの電車を待ちながら読んだ京阪電車のフリーペーパーのコラムには「宇治川を境に、京は男の世界、宇治は女の世界」とも書いてあった)。

人生で初めて心惹かれた女性・大君を山荘に尋ね、彼女の死後は浮舟を宇治に隠し住まわせた薫にとっては、この川が日常と非日常の境だったわけだ。

それから、『響け! 〜』の聖地「久美子ベンチ」も無事発見した。この時は先客があったので、近くの「源氏物語ミュージアム」を訪れた時にでもまた座ってみたい。

『源氏物語』から少し歴史に視点を移せば、誰の所有物でもなかった川というのは、無責任なものが野放しになり、一方で伸び伸びと育つ場所でもあった。

ある種の職人や芸能で生きる人々が「河原者」と呼ばれたことや、三条河原・六条河原の処刑などが有名だが、高校で習う芥川龍之介の『羅生門』の楼の上のように、引き取り先のないものが放置される場でもあったという。

今春の一時期は人けのなかった川岸も、最近は人がだいぶ戻ってきた。
カップルやグループが腰を下ろして楽しそうにしているあの地面の真下に、遙か昔の誰かの、恨みつらみを抱えたままの頭蓋骨が埋まっているのかもしれない……といった想像もしてみる。

恨みつらみも地獄も、全部押し流しながら知らんふりして古都をゆく水の束の眺めが、私は実に好きである。
たぶんこれからも、何のことはない眺めを日々iPhoneに記録していくのだ。

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この記事を書いたKLKライター

元国語教員の編集者
原 亜由美

 
生まれ育ちは九州の片田舎。中学2年ごろから『源氏物語』に親しみ、京都に憧れを抱く。

同志社大学文学部国文学科卒、京都大学大学院人間・環境学研究科 博士後期課程中退。
 
せちがらい就活に挫折していた折、高校時代の恩師の導きにより、地元の私立高校で国語科講師→翌年公立高校教諭に。
そんなデモシカ教員生活も5年目のある日「授業や指導より、プリント作っているときのほうが幸せやな」と気づき、教材編集者に転職+「好きな土地で余生を楽しみたい」との思いから、京都に再移住。
 
趣味は京都散策、文芸、漫画・アニメなどサブカル全般、ボイストレーニング、アクセサリー制作(ビーズ、刺繍、ガラス工芸等々)。
ドイツ史や刀剣の話も好む。

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原 亜由美

 
生まれ育ちは九州の片田舎。中学2年ごろから『源氏物語』に親しみ、京都に憧れを抱く。

同志社大学文学部国文学科卒、京都大学大学院人間・環境学研究科 博士後期課程中退。
 
せちがらい就活に挫折していた折、高校時代の恩師の導きにより、地元の私立高校で国語科講師→翌年公立高校教諭に。
そんなデモシカ教員生活も5年目のある日「授業や指導より、プリント作っているときのほうが幸せやな」と気づき、教材編集者に転職+「好きな土地で余生を楽しみたい」との思いから、京都に再移住。
 
趣味は京都散策、文芸、漫画・アニメなどサブカル全般、ボイストレーニング、アクセサリー制作(ビーズ、刺繍、ガラス工芸等々)。
ドイツ史や刀剣の話も好む。

|元国語教員の編集者|貴船神社/鴨川/源氏物語/観光地

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