祇園祭の山鉾巡行は昨年に続き、今年も残念ながら中止となりました。とはいえ、実は神事としての祇園祭は今年も開催されています。祇園祭の行事は八坂神社主催のものと、山鉾町主催の2つに分けられているのですが、一般的に祇園祭といえば山鉾巡行のイメージが強いため、祭自体が中止と思われているようですね。

祇園祭のそもそもの起こりは、今から約1150年前の863年、朝廷による疫病の流行を抑える御霊会に由来しています。平安時代は、今と異なり賀茂川は「暴れ川」で何度も氾濫して、都大路まで汚水が流れ込み、その後には疫病が発生し多くの人が亡くなっています。当時の人々にとって、それは不慮の死を遂げた多くの人の怨霊の祟りと考えたと思われます。この怨霊を鎮めるための御霊会として、祇園祭が厳粛に行われてきました。

祇園祭では山鉾巡行の後に神幸祭と還幸祭が催行されます。前祭と後祭の山鉾巡行の終わった日の夕方に三基の御神輿が市中を渡ります。本来の山鉾巡行は、御神輿の両祭を盛り上げる脇役でした。祇園祭の特徴は、元々は朝廷の行事であったものが町衆の発展によって大きな変貌を遂げたことだと思います。現在のように山鉾がいわゆる山車のように巡行したのは鎌倉時代末期頃からだそうです。そして京に再び都が戻った室町時代になると、酒屋や土倉(どそう)と呼ばれた金融業者などの富裕な豪商が現れてきました。安土桃山時代には海外貿易などで豪商たちは更に財力を高めていきました。これら京都の商人は普段は倹約をしてもお祭りにはお金をかけ、日頃お世話になっている人々を招待し、海外から取り寄せた織物で飾った山鉾を見て貰おうというおもてなしであったことでしょう。このような京都の豪商たちの財力そして心意気とともに山鉾が煌びやかな装飾を施すようになり、今日のように山鉾巡行が祇園祭の中心的な役割にまで高められました。

このように祇園祭は厳粛な神事であるとともに、京都の町そして京都人の発展を象徴してきたわけです。それだけに祭のハイライトである山鉾巡行が見られないことは、残念である以上にやるせない思いがいたします。

と、嘆いてばかりいても仕方ないので、少し古くなりますが2012年に祇園祭を観覧したときの思い出を綴ってみたいと思います。この時は7月14日、つまり宵々々山に「祇園祭とくらしの関係って?」という講演会があり、事前学習をしたうえで幾つかの山と鉾をそぞろ歩きしながら見学しました。宵山の期間中には、周辺の旧家や商店では秘蔵の屏風(びょうぶ)や書画などを披露するので、それを見学できるのも楽しみの一つです。

なお、祇園祭での鉾と山の巡行については、こちらのブログ「被災者励ます祇園囃子・綾傘鉾と二転三転した京の五山送り火」も、よろしければご覧下さい。 ※「」内の文字をクリックするとブログが見られます。

まずスタートは函谷鉾(かんこぼこ)で、多くの鉾と山同様に宵山には、希望者には中を見学でき、着物姿の人は無料とあって多くの人が着物姿で押しかけていました。鉾の名前は中国古代史の話、孟嘗君の故事に基づいています。斉の宰相である孟嘗君は秦の昭王に重用されていました。しかし讒言(ざんげん)によって咸陽を脱出して函谷関まで逃げたが、関の門は鶏が鳴かねば開きません。配下が鶏の鳴き声をまねたところ、あたりの鶏が和して刻をつくったため、見事通り抜けたという故事によっています。

これは一巡して戻ってきたところ、丁度祇園囃子が始まってきたときのもので、暑苦しいけれど独特の「コンチキチン」の囃子が流れてきました。「コンチキチン」の祇園囃子は「神様もよろこび、人もよろこぶ。それが囃子」とされ、祇園祭、とりわけ鉾にとってはなくてはならないもので、鉾が進行するときには必ず祇園囃子が囃されます。

これは山伏山で、山に飾る御神体が山伏の姿をしているため、この名前があります。一番北に位置する役行者山と同様、当時の民間信仰として人気のあった修験道・山伏から着想されています。

宵山の間、ご神体の山伏は山伏山の町屋の2階から、私達を見下ろしています。

山伏山の町屋では丁度、茅の輪が設置されていて、今年は3回目の輪くぐりをしましたので、夏ばてしないで過ごせることでしょう。夏痩せもできるといいなとお願いしました。

次に訪れたのは、鯉山です。町家で頂いた資料「なぜ?祇園祭に西洋の綴織壁掛け(タペストリー)が」に、タペストリーの謎など4つのポイントが説明されていました。前掛や見送(場所は上の図を参考にして下さい)は16世紀のベルギー製のタペストリーで、重要文化財に指定されています。ギリシャの叙事詩に題材をとって人物や風景が描かれており、山鉾きっての貴重なもので、雨が降れば大変ですが、この時は幸い好天に恵まれました。

人物でなく魚をテーマにするのは山のなかで唯一で、竜門の滝をのぼる鯉は竜になるとの言い伝えで有名です。左甚五郎の作と伝えられています。

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この記事を書いたKLKライター

京都府立大学 名誉教授
藤目 幸擴

 
生年月日:1945年(昭和20年)1月5日

現職
京都府立大学 名誉教授、タキイ財団 理事、NPO 京の農・園芸福祉研究会 理事長、(一財)京都園芸倶楽部 会長

主な経歴 
1969年 京都大学大学院農学研究科修士課程修了、香川大学・京都府立大学教授を歴任
1982年 京都大学農学博士
1984年 園芸学会賞奨励賞
2008年 京都府立大学農学部定年退官・名誉教授
1985~1986年 ケニア・ジョモケニヤッタ農工大学へ出張(国際協力機構) 
1993~1994年 英国ロンドン大学を中心に欧米7カ国 へ出張(文部省長期在外派遣)
1997年 デンマーク植物と土壌科学研究所へ出張(学術振興会派遣研究員)
この間に欧米、アジアなど約30カ国での国際シンポジウムに参加すると共に、留学生10名に学位論文の指導を行う

主な著書  
Q&A 絵で見る野菜の育ち方、農文協、2005
野菜の発育と栽培、農文協、2006
ブロッコリーとカリフラワーの絵本、農文協、2007
ブロッコリーの生理生態と生産事例、誠文堂新光社、2010
ブロッコリーとカリフラワーの作業便利帳、農文協、2010
はじめてのイタリア野菜、農文協、2015
「おいしい彩り野菜のつくりかた」(監修) 農文協、2018

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藤目 幸擴

 
生年月日:1945年(昭和20年)1月5日

現職
京都府立大学 名誉教授、タキイ財団 理事、NPO 京の農・園芸福祉研究会 理事長、(一財)京都園芸倶楽部 会長

主な経歴 
1969年 京都大学大学院農学研究科修士課程修了、香川大学・京都府立大学教授を歴任
1982年 京都大学農学博士
1984年 園芸学会賞奨励賞
2008年 京都府立大学農学部定年退官・名誉教授
1985~1986年 ケニア・ジョモケニヤッタ農工大学へ出張(国際協力機構) 
1993~1994年 英国ロンドン大学を中心に欧米7カ国 へ出張(文部省長期在外派遣)
1997年 デンマーク植物と土壌科学研究所へ出張(学術振興会派遣研究員)
この間に欧米、アジアなど約30カ国での国際シンポジウムに参加すると共に、留学生10名に学位論文の指導を行う

主な著書  
Q&A 絵で見る野菜の育ち方、農文協、2005
野菜の発育と栽培、農文協、2006
ブロッコリーとカリフラワーの絵本、農文協、2007
ブロッコリーの生理生態と生産事例、誠文堂新光社、2010
ブロッコリーとカリフラワーの作業便利帳、農文協、2010
はじめてのイタリア野菜、農文協、2015
「おいしい彩り野菜のつくりかた」(監修) 農文協、2018

|京都府立大学 名誉教授|京野菜/伝統野菜

   

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