「京都えきにし」の文化都市施設 ―その1 山陰本線と『梅小路公園』―

近年、京都駅西部エリア(通称「京都えきにし」)に熱い視線が注がれています。このエリアは、北が五条通、南がJR京都線、東西を烏丸通と西大路通に囲まれた区域を中心にした地域です。1877(明治10)年の京都駅開業、97(同30)年の京都鉄道(現JR嵯峨野線)の開業を経て、このエリアには鉄道施設やガス施設、中央卸売市場や病院など様々な文化都市施設が造られてきました。2019(平成31)年3月にはJR嵯峨野線「梅小路京都西駅」が開業し、梅小路公園周辺へのアクセスは飛躍的に向上し、京都の新しい顔として京都全体の飛躍を導くまちづくりが期待されています。
そこで、今回から3回にわたって「京都えきにし」の文化都市施設を巡りたいと思います。初回は、京都駅から山陰本線に沿って、鉄道にこだわりながら梅小路公園に向かいましょう。

 

ご案内

梅小路公園はまるで鉄道公園だ。そこで、京都駅から鉄道沿いに梅小路公園へ行った。
まず京都駅南北自由通路の眺望GATEを上がり、駅周辺を眺めた。ここは西に抜けるコンクリートの通路空間だが、南面の擁壁にはガラスがはめ込まれ、所々に線路側に突き出した眺望スポットがあって、線路を走る電車が鉄道パノラマのように一望できる。上空は駅ビルの長大な壁面に階段の床だけが青空に飛び出し、現代的空間だ。ここを降りて西に行くと、堀川通からは梅小路公園まで線路の横を歩くことができる。横を走る山陰本線は、京都鉄道株式会社が1897(明治30)年に二条駅-嵯峨駅(現嵯峨嵐山駅)間を開業し、同年に大宮駅、京都駅へと順次延伸・開業していった路線だ。1907(同40)年には国有化され、山口県下関市の幡生駅までつながる山陰本線となっていった。

京都駅2F南北自由通路の眺望GATE入口
眺望GATE
眺望GATEから南西を見る (写真左上に東寺が見える)

京都鉄道株式会社が04(同37)年に建設した木造2階建ての二条駅舎は、本屋の両端に翼を張り出した工字型の平面で、本屋1階を待合所、2階を事務室とし、伝統的な和風意匠を基調とするが、柱頭飾りや窓などに洋風の意匠が取り入れられている。明治期の本格的な和風駅舎として現存する唯一の例であり、京都市指定文化財となっている。この旧二条駅舎は、山陰本線の高架化にともない梅小路蒸気機関車館(現京都鉄道博物館)に移築された。

旧二条駅舎

堀川通から線路横を西に進むと大宮跨線橋(陸橋)の足元に出る。35(昭和10)年に架けられたこの橋は、線路の間に柱が設けられているため、柱の厚みが薄く奥行きが長い壁の様になっている。正面から見ると、斜材で補強された方形フレームがいくつも積み重なり、リベットが打ち込まれた鉄骨造の幾何学模様が美しい。この橋の完成とともに市電大宮線が72(同47)年まで走っていた。橋には市電停留所が設けられ、そこへのアクセス用階段が造られていたが、老朽化のため2019(令和元)年度撤去された。しかし橋上に架かる門型の鉄骨架線設備は今も残る。

写真中央で線路を渡る橋が大宮跨線橋
大宮跨線橋の鉄骨造の柱

大宮通を超えると梅小路公園だ。国鉄清算事業団から用地を購入し95(平成7)年に開園した梅小路公園は、面積約13.7ヘクタールの都市公園だ。園内の芝生広場は広大で空が広く、大勢の人々がのびのびと遊んでいる。訪れた日は天気も良く、東側の花畑近くでは園児たちが遊び、西側のステージ周辺では学生たちが群れてにぎわっていた。広場中央から北を見ると、京都水族館の円弧状(三日月形)の大屋根が公園側にのしかかり、庇の下の客席からときどき歓声が上がる。

梅小路公園
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梅小路公園の芝生広場
梅小路公園の野外ステージ
梅小路公園の市電と京都水族館

公園に設置された7台の市電を追いかけながら“朱雀の庭”の方に行くと、途中の河原遊び場付近で「西八条第跡」の説明板が目にとまった。説明によれば、西八条第は平清盛が1166(仁安元)年頃にこの地に構えた広大な邸宅で、六町を有するという。81(治承5)年に清盛が64歳で没し、その2日後に火災で焼失した。のちに再建された建物も、83(寿永2)年の平家都落ちに際して自ら火が放たれ、邸宅は残すところなく灰燼に帰したという。そして85(文治元)年、壇ノ浦の合戦において安徳天皇が水死し、平家はここに滅亡して、約四百年間続いた平安時代が終わりを告げた。西八条第跡の発掘調査では、柱跡や溝跡のほか平安時代後期の土器とともに焼土や炭化遺物も出土し、西八条第で火災があったことを裏付けていて、それらの遺跡は盛土して保存されている。

朱雀の庭と緑の館
「西八条第跡」の位置(現地説明板)

公園南は、建都1200年を記念して創設された日本庭園“朱雀の庭”や復元型ビオトープ“いのちの森”など中高木の木々が広がる。その南側を、ときどき汽笛を上げてSLスチーム号が行き返る。この線路は公園の外側ではあるが、SLスチーム号が京都鉄道博物館から梅小路公園大宮南口を往復する。
SLが格納されている機関車庫は、京都停車場改良工事の一環として1914(大正3)年に竣工した鉄筋コンクリート造の建物で、前面の転車台を中心として東西に扇形平面を描いている。機関車の修理を行う器械場や機関車駐留場からなり、20の引込線を収容する。梅小路機関車庫は、わが国に現存する最古の鉄筋コンクリート造機関車庫として価値が高く、大規模な架構や合理的な平面計画により機関車修理などの効率的作業を可能とし、大正・昭和期を代表する機関車庫として重要文化財に指定されている。転車台で回る様子や、煙を上げて力強く動き出す蒸気機関車を見ていると、腹の底から力が湧いてくる。

梅小路機関車庫
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転車台のSL
京都鉄道博物館

ちなみにこの転車台は、難を逃れたが、上空からの分かりやすさから原爆投下の目印とされたという。
続く

参考文献
「京都の歴史 8古都の近代」京都市編、學藝書林 1975年
「国指定文化財等データベース」(梅小路機関車庫)文化庁
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/00003895
「京都市情報館」(旧二条駅舎)
https://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000189689.html
「京都市情報館」(京の橋しるべ 第17号(令和2年3月発行))
https://www.city.kyoto.lg.jp/kensetu/cmsfiles/contents/0000149/149842/hashishirube17.pdf
「京都市都市緑化協会」(梅小路公園)
http://www.kyoto-ga.jp/umekouji/index.html
「京都えきにし」京都駅西部エリアまちづくり協議会
http://www.kyoto-sta-west.jp/
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この記事を書いたライター

公益財団法人 京都市文化観光資源保護財団 アドバイザー 
京都大学工学部建築学科卒、同大学院修了
一級建築士

1957年生まれ
1982年4月から京都市勤務
2018年3月に京都市都市計画局建築技術・景観担当局長で退職
2018年4月から2023年3月まで京都市文化財保存活用・施設整備アドバイザー
2023年7月から現職

著書:「花街から史跡まで 散歩でハマる! 大人の京都探訪」(リーフ・パブリケーション)
   「いろいろ巡ろ! 京都の文化都市施設」(KLK新書)
共著:「京都から考える都市文化政策とまちづくり」(ミネルヴァ書房)
   「『京都の文化的景観』調査報告書」(京都市)

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