【京のまつり文化】京都ハレトケ学会
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転職をきっかけに僕が京都へ居を移したのは13年前の春だった。
当時は土地勘も全くなく、職場のある大阪へのアクセスを最優先に考えて、何となく壬生寺にほど近い四条大宮のマンションを選んだ。そこは中堂寺と呼ばれる地域の境界であり、稲荷祭の忌刺榊が付けられる場所でもあった。
中堂寺という地域はあまり知られていない。国会図書館のデータベースでも"中堂寺"に言及した蔵書はわずか10件、かつての特産品・中堂寺だいこんと後述する"六斎念仏"に関するものばかりである。大正時代の『京都坊目誌』を引くと、
○中堂寺ノ址
藪之内町及以西の地なり。中堂寺は古へ此地にあり。浄土宗の大刹たり。
後ち高辻堀川の東に移る。天正年中舊地の西に轉す。現在の葛野郡
大内村字中堂寺是なり。
とあり、浄土宗西山禅林寺派の中堂寺(下京区中堂寺西寺町)にちなむ地名であることがようやく分かる。現在の五条通を中心として、北は松原通、南は花屋町通、東は大宮通、西は御前通に囲まれた地域と考えていただければよいだろう。南西部にはJR嵯峨野線・丹波口駅があり、京都中央市場や京都リサーチパークが立ち並んでいる。
この地域には郷土芸能・六斎念仏(国の重要無形民俗文化財に指定されている)を継承する講中"京都中堂寺六斎会"があり、前会長にお声がけいただいたことをきっかけとして運営に携わるようになった。そして、僕が住んだマンションは父が若い頃に勤めていた会社の事務所のあった場所であることが後に判明する。その父は現在、中堂寺六斎の人気演目『獅子舞と土蜘蛛』で使用する蜘蛛の糸を作っていたりする。見えない糸にたぐり寄せられたのかもしれない。
中堂寺に言及する数少ない文献である『京都坊目誌』は、京都の町名の由来や沿革、社寺・旧跡を文献と口碑の考証によって記述した地誌である。当時の京都市域(現在の上京区・中京区・下京区・東山区の一部)が町単位で記されており、京都の歴史を調べる上での基本史料と言えるだろう。ただ、残念ながら京都市編入前だった愛宕郡・宇治郡・紀伊郡・葛野郡(現在の北区・南区・右京区・左京区・伏見区など)は収録されていない。
著者の碓井小三郎(1865-1928)は、新町通竹屋町下る弁財天町の糸物商・田原屋の息子として生まれ、兄の夭折と父の死をきっかけに小学校を中退し、わずか12歳で家業を継いでいる。家業に従事するかたわら、書家・小野道文に読書と華道を、四条派の絵師・望月玉泉に絵画を、土佐派の絵師・土佐光武に彩色法を、歌人・遠藤千胤に国文と和歌を学んだという。
碓井は同業者からの信頼も篤く、明治23年(1890)に京都糸物商組合の理事となっており、明治25年(1892)には市会議員に当選し12年間在職、明治38年(1905)には府会議員に当選し10年間在職して府会副議長もつとめている。その間に様々な委員や評議員を歴任していて枚挙にいとまがないが、特筆するならば明治28年(1895)の平安遷都千百年紀念祭に合せて刊行された史書『平安通志』の編さん事務委員を経験していることであろう。
『平安通志』刊行の翌年にあたる明治29年(1896) 5月19日、狂歌師・久世宵瑞(1746-1811)による奈良の地誌『平城坊目考』に感銘を受けて『京都坊目誌』の編さんを思い立ち、19年の歳月を費やして全66巻を独力でつむいでいる。大正4年(1915)の大正天皇の即位式(11月10日)に合わせて仕上げ、これを献上したという。その内容は高く評価され、大正の御大礼を記念して刊行中であった江戸期の地誌の集成『京都叢書』に加えられており、現在もその復刻版を入手可能である。
植藤造園の15代・佐野藤右衛門(1900-1981)は、著書『桜花抄』でその人柄をこう偲ぶ。
「(碓井氏は)京都のサクラの歴史にはとくにくわしく、父は氏から実際的な知識を教えられた。さらに碓井氏はきわめて多才多芸な人で、趣味もひろく深かった。そういう一面を語り、証拠だてるものとして、私の父が碓井氏からちょうだいした二組の煎茶茶碗がある。各五客ある茶碗に碓井氏みずから絵つけをしたサクラが焼かれている。一組五客ずつ二組、その図柄はぜんぶ異なったもので、名だたるサクラを克明に描き、じつにみごとである。氏が画をよくし、いかにサクラに通暁していたかがわかる」
昭和3年(1928)年3月、碓井はその年の糸桜を待たずに旅立つ。金戒光明寺には桜の花びら数片が刻まれた墓碑がある。奇しくも昭和の御大礼にあたる年であった。
平成31年4月30日、退位礼正殿の儀で今上天皇が上皇となられ、令和元年5月1日の剣璽等承継の儀において、皇太子さまが皇位の証である剣璽(剣と勾玉)とともに御璽(天皇の印章)と国璽(国の印章)を承継される。
10月22日には皇位継承を国内外に知らしめる即位礼、11月14日~15日には御代替りの初めに行なう大規模な新嘗祭である"大嘗祭"が予定されている。これらを中心とする一連の行事を"御大礼"という。
平成30年(2018)年は、昭和の御大礼から90年目にあたる年だった。大正に続き昭和の御大礼は京都で行われたが、平成そして令和の御大礼は東京で行われる。90年前の御大礼の舞台となった京都では何があったのか。次回は当時の記録から紐解いてみたい。
◇参考文献◇
玉輪(-)『草木寫生』京都府立京都学・歴彩館 所蔵資料京都府参事会編(1895)『平安通志』新人物往来社 1977年
碓井小三郎(1916)「京都坊目誌1~5」『新修京都叢書』第17~21巻 臨川書店 1976年
森田清之助(1920)「碓井小三郎」『光悦談叢 一名鷹峰叢談』芸艸堂
佐野藤右衛門(1970)『桜花抄』誠文堂新光社
久世宵瑞著・金沢昇平版『平城坊目考・平城坊目遺考』五月書房 1998年
鎌田純一(2003)『即位禮大嘗祭 平成大礼要話』錦正社
京都市市政史編さん委員会編(2009)『京都市政史』第1巻 京都市
井上幸治(2009)『[史料紹介]碓井小三郎履歴書』京都市政史編さん通信 第35号
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