【僕は京都の銘竹問屋シリーズ】
Episode 1 なんで竹は、京都やねん???Episode 2 竹林の小径、嵐山に行って見た!
Episode 3 僕は京都の銘竹問屋(前編)
Episode 4 僕は京都の銘竹問屋(後編)
地表に顔を出した筍は、一ヶ月程の間に急速に伸びていきます。節ごとに生長点があるため、節間を一気に広げていくからです。そしてその後、下の方から自然に皮が落ち、枝を広げ、葉から陽の光を受け止め、2か月程で生長を終えてしまいます。
地面に張り巡っている地下茎は、10年程で枯れてはいくのですが、筍が出た後、地中ではさらに地下茎を伸ばし、その間に次の地下茎を産み、子孫を残し続けます。夏以降に貯め込んだ土中の養分や水分を次の春の芽を出す為に使い、その芽が筍となります。
5月初旬は地表では一番の成長期で、皮をつけたまま4mにも5mにもなった姿は、巨大すぎる筍。一週間ごとに竹藪の景色も変わってきます。僕はこの時期の竹藪に強い生命力を感じます。
これまでは素材としての銘竹が主なテーマでしたが、今回は生きている竹の事を書いてみます。竹を売るという仕事と掛け持ちで竹を育てる仕事もしています。といっても、生産は本業ではなく、所有している竹藪の最低限の手入れをしているだけのことです。
亀甲竹と云う特殊な品種の竹藪なのですが、毎年、春の時期に生長を止める為の作業をするのです。台風で倒れるのを防ぐため、と若い頃に教えられた記憶があります。まだ枝を広げる前の皮の付いている時期は柔らかな筍と同じ。両手で竹(いや、巨大な筍)をつかんでゆすると、たとえ4mあるいは5mの背丈に生長していても、その先端がポキっと折れます。先端を取り除く事で、それ以上は伸びなくなります。背を高くしない事で、風への耐性を高め、この特殊な亀甲竹を守る、という訳です。
その作業をする程度なので、1年の間でも郊外にあるその竹藪に行くのは精々4~5回。気のむかない年などは、2~3回。ではあったのですが、この2年間は、季節を問わずに度々、ここに向かっています。
その理由は・・・
2018年9月4日の台風21号。日本中で甚大な被害をもたらしました。京都市内も戦後最大の瞬間風速を記録。市内至る所で倒れている大木に、その爪痕の深さを見せつけられました。
とはいえ、自宅にも店舗にもさしたる影響がなかった僕は、その翌々日、“とりあえず、念のため”程度の感覚で竹藪に行ってみたところ、その光景に愕然としました。
竹がない! いや、正確に言えば、竹はあったのです。ありはしたのですが、4m以上は十分にあり、枝を広げていた沢山の亀甲竹は、その上部はことごとく折れ、根元から倒れているのもあれば、残っていても2mほどの一部だけ。見上げて見えるのは、晴天の空ばかり。
開かない扉を諦め、フェンスをよじ登って竹藪の中に飛び込でみて、愕然。
倒れ込んだ竹の幹に竹の枝が重なり合っているうえ、からみあって動かない枝の間を笹葉が塞ぎ、目の前のその向こうは全く見えない。足を置くスペースさえもない。
確かに、「春に竹藪に来るのは台風で竹が倒れない様に成長を止める為」は、知っていましたよ、冒頭に書いたように。しかしながら、そんな台風など経験していなかった僕は、手段であるはずの「竹の生長を止める事」が目的で、本来の目的であるはずの「台風に備える」など忘却したまま、仕事をしてからのこの三十年間ほど、毎春、竹藪で汗を流していたわけです。
こうなったからには復旧させないと!秋の涼風が吹きだした頃合いをみて、週末の竹藪通い。かがみこんだ身体をねじ込み、隅間をかき分け前に進みな、倒れている竹を適当な長さに切り、担いで運び、端に積み上げ、徐々に地面が見え、の繰り返しを4か月。ようやく区切りもつき、次の春を楽しみにしていたところ、期待は外れ、ほぼ筍は見かけない代わりに、竹がなくなり陽当たりがよくなった為か、見たこともない草や木や花やイチゴやキノコが乱立。で、再びせっせと週末に通い、草刈りとやり残した後片付けの続き。
そして、この春。グイグイと現れてきた筍がドンドンと竹になってきました。元来、竹は生命力が強い植物ではあるのですが、それにしても、崩壊したとさえ思えた2年前の姿から、ようやく竹藪らしい姿を取り戻してきた事に自然の畏敬を感じてしまいます。
竹で仕事をしていると、竹から教えられることもあります。困難なことになった後、しぶとい執念で息を吹き返してきた、この春の竹薮をみていると。