祇園祭還幸祭と丹波八坂太鼓

京都府船井郡京丹波町下山の尾長野(おながの)地域には京都八坂神社の御分社である尾長野八坂神社があります。このご縁により京都八坂神社と尾長野区(20戸程の集落)とは古くから深い関わりがあります。尾長野八坂神社は、京丹波町下山東山1番地に所在し、天和3年(1683年)に火災にあい再建されたもので祭神は素戔嗚尊です。牛頭天王の牛の神様が祀ってあり昭和の時代まで牛を連れての参拝が続きました。牛は農家にとっては家族同様でした。江戸時代に牛の病が流行した時、疫病退散を願って打たれたのが丹波八坂太鼓の由来と言われています。

京都八坂神社御田祭での早乙女の手植え

昭和45年、京都八坂神社と尾長野八坂神社との間で、下山尾長野の地に神撰田をこの地で引き継いでほしい。というお話があり、氏子2名が同年5月10日に尾長野の地の神撰田(約40a)において初めてお田植えが実施されました。昭和55年からは尾長野区全体で「京都八坂神社御田祭(おんださい)」として取り組みを行うようになりました。
尾長野の地でお田植が始まって本年で51年を迎えました。現在は毎年5月下旬の日曜に開催されます。神撰田のお米は、秋に京都八坂神社に奉納します。

関係者行列

また、丹波八坂太鼓は、昭和46年に八坂太鼓保存会を立ち上げ、本年で結成50年という節目を迎えました。御田祭では五穀豊穣を願って奉納太鼓を演奏します。

♫ 「八坂太鼓の唄」として四季の行事を唄った丹波八坂太鼓での曲があります。

 一、  一年始まり春の月 揃た揃たな今年も揃た
     紅と白の御田祭  豊年願って打つ太鼓

神撰田への入場

 御田祭当日は、京都八坂神社の宮司をはじめ、京都市内より神社関係者や神輿会や氏子等の多数の方が訪れ御田祭を見守ります。式典は、午前10時から厳粛な空気の中で始まり、神前に供えられた苗が、祭司から田長(でんちょう)へ。田長から神撰田へのすげ笠に紅と白の着物で、襷をかけ金色の帯を締めた早乙女8人に手渡され、神職の生演奏の雅楽と巫女の舞に合わせて手植えを行う優雅な場面となります。
五月晴れ、周囲の緑、薫風、そして水田の水に早乙女の姿が美しく映え、見る者を魅了します。植え付けが終わると、苗の邪気を払う祇園獅子舞の奉納演舞。苗に力を与える丹波八坂太鼓の奉納演奏が行われ、参会の皆で五穀豊穣を祈願します。

祇園祭「お稲さん」尾長野区から奉納
御田祭祭終了後撮影

しかし、昨年と本年の御田祭は、コロナ禍により神事のみの執行となり、早乙女の田植え、祇園獅子舞、丹波八坂太鼓は取り止めになりました。また、尾長野区の氏子のみの参列で開催され、昨年と今年の神事中での「お田植の儀」は、田長である私が自ら手植えを行うという歴史を刻みました。

令和2年御田祭

以前に「毎年、祇園祭はここから始まる。」と先代の三若神輿会吉川会長と現在の同会吉川幹事長に言っていただいた言葉は忘れられません。毎年、田長として誇りに感じます。初代田長は私の亡き父で京都八坂神社から任命されていました。そして私がその後を受け、
10年ほど前から任命され継承をしています。毎年の祇園祭という大河の源流が尾長野の地からの御田祭であることを噛みしめ、この誇れる無形民俗文化を未来へつないでいきたい。と思います。でもその前に、来年こそは、本来の御田祭をご覧いただきたいと思います。

次に「八坂太鼓の唄」の二番です。

二、  夏の陽射しを体に浴びて ねじり鉢巻き若衆が担ぐ
    金の神輿の祇園祭    健やか願って打つ太鼓

 毎年の7月の祇園祭の神幸祭と還幸祭では、尾長野区から約50cm余りに伸びた青稲が「お稲さん」として奉納され、金色の八坂神社神輿三基の鳳凰の足元に取り付けられます。

令和3年御田祭

また、24日の祇園祭還幸祭において、30年近く、毎年、三若神輿会から丹波八坂太鼓がお招きを受けて、夕方からの神輿渡行に合わせ、三条・四条で神輿の道中三か所で打ち鳴らし神輿や担ぎ手に力を与えます。
1か所目が四条大宮。2か所目が千本三条の三条会。3か所目が三条の府立文化博物館前または三条千總ビル前(演奏場所が隔年交代)での演奏を行います。

2019年7月24日 祇園祭還幸祭

ここからは最初の演奏の場である四条大宮より実況中継でお送りします。24日の夕刻、神輿会役員を先頭に威勢のよい大勢の担ぎ手の余丁と中御座神輿が四条堀川方面から掛け声とともにやってまいります。

2019年7月24日 祇園祭還幸祭

神輿を迎える丹波八坂太鼓の音が四条大宮の広場で「どんどこどんどこ」と鳴り響きます。おーっと、神輿会役員の合図の笛で広場の中央辺りで一旦停止しました。これから差し上げが始まるのか。差し上げ前の余丁の皆さんがスタンバイを始めた。この時、静寂となり緊張が走ります。神輿会役員がスピーカーをとおして合図の掛け声が入る。

「ほいとおー、ほいとおー、ほいとおー!!」一斉に神輿のカンの音と余丁の掛け声、太鼓が鳴り響く。神輿が太鼓の側に押されてくる。太鼓に近寄らないように、神輿会役員や余丁や太鼓役員が体を張って神輿を押し返す。破壊力のある余丁の声と丹波八坂太鼓の音。迫力と威勢の良さで見ている皆さんも太鼓のリズムに合わせて手拍子。役員の笛音で神輿と太鼓がピタッと止まる。そして見ている皆さんから一斉に大きな拍手。神輿を肩から降ろして、スピーカーより「よいっとせーの(チャ、チャ、チャの手拍子3回)、よいっとせーの(チャ、チャ、チャの手拍子3回)、よいっとせーの(おっ)」で心ひとつに合わせてこの場が収まった!!四条大宮より中継をお返しします。

四条大宮で差し上げ

きっと八坂の神さんは大喜びだと思う場面です。見ている皆さんの顔も笑顔満面です。中には、神輿に手を合わせておられる方もおられます。胸が熱くなるひと時です。
神輿が移動を始めると丹波八坂太鼓はその場を片づけて、千本三条の三条会へ先回りをして中御座神輿を迎え入れます。ここは、三若神輿会の神輿町です。お馴染みの顔が沢山おられて、私たちにも「今年も待ってたで!」「毎年、見に来てるんや。」「メンバーも変わったな。」「皆、元気やったか。」「今年も期待してます。ドーンとやってや!」準備の最中から色々なお声をかけて頂きます。嬉しい限りです。神輿の通過前後に太鼓演奏も行います。

府立文化博物館前(中御座神輿)

千本三条を後にして、片付けで先回りをします。最後の三か所目は、三条高倉の府立文化博物館前。ここでは、前の2か所とは異なり、3基の神輿(中御座→東御座→西御座の順)が通過し、3基それぞれが太鼓の前で差し上げを行います。その場にいる約500人近い観客の皆様も神輿と太鼓の饗宴に興奮の渦となります。皆さんが口々に「もう一つの素晴らしい祇園祭りを見た!」「京都の夜の祇園祭を見た!!」と。やはり日本人は、地域を問わずお祭りが好きだな。と感じるときです。神輿3基が通過するには約1時間余りかかりますが、観客の皆さんは帰る気配は無し。「さぁ、神輿の次は丹波八坂太鼓やで。よっ、待ってましたあ!!」の掛け声が飛び交います。毎年恒例となった丹波八坂太鼓のライブがこの場で約50分間開催されることを大勢の方々が知っておられ楽しみにお待ちいただいております。近年、祇園祭の楽しみ方として、観光冊子やSNSで掲載されています。

神輿通過後の丹波八坂太鼓ライブの開始

想い返せば、私は1回目から今日まで、約30年の間、一度も休むことなく演奏しています。祇園祭への皆勤賞は保存会の村上会長と私だけになりました。しかし、最初は怖かった。私も当時は30歳過ぎでしたが、何も分からない中で、何が怖かったって失礼ながら担ぎ手の余丁の皆さんの迫力です。でも30年間には顔見知りもでき、役員の皆様をはじめ、余丁の皆様の温かい人柄に触れ、今は、今年も皆様と出会うのが大きな楽しみで、嬉しい限りです。まさに還幸祭は私も丹波八坂太鼓もライフワークです。今はこの祭りとこの空間を楽しんでいます。来年こそは是非、見に来てください。

ここで、何故、24日還幸祭で演奏する理由をお伝えします。実は、太鼓は雨に弱い楽器だからです。当初、お招きを受けたのは17日の神幸祭でした。最初の3年間は17日でした。うち2年は雨天でした。神輿会役員とも相談して、24日ならば大丈夫だろう。となりました。当時の24日は、昼間の山鉾巡行の後祭りもなく、目立つ祭事は昼間の花笠巡行と夕方からの神輿渡行の還幸祭ぐらいで祇園祭は17日に終わったという感じでした。24日に変更してからの3年ほどは、三条会と三条高倉で演奏してから八坂神社境内まで行き演奏しました。しかし、いずれも神輿より先回りを行うため、演奏して片づけて、そして先回りを行ってスタンバイをするという繰り返しですから、神輿渡行コースによる通行規制もあり大変な至難の業でした。今は、皆さまのご尽力により、24日の昼間には後祭りでの山鉾巡行も行われます。

「満天の星」の桶胴太鼓ソロ!

こうした歴史を歩みながら25年ほど前から今の3か所での演奏状態に落ち着き、各場所でファンの方もおられお声かけや差し入れをいただき、楽しみに待っていただいていることを本当に嬉しく思います。以前に「24日の神輿と丹波八坂太鼓を見ないと祇園祭は終われない!!」「毎年、楽しみに見にきているで!!」「太鼓の音に誘われて、それ以来、ずっと見に来てる。元気がもらえる。神輿と丹波八坂最高!!」この日は、夕方6時ころから演奏が始まり、移動を繰り返し最後は10時15分ぐらいに終わります。全部が終わった時は結構くたくたですが、夏のビル街の夜風も気持ち良いものです。そして気が付けば私らも励まされています。さあ、最後まで背筋伸ばして、笑顔で片づけしましょう。「今年も上半期が終わったな。」と去り行く夏の季節を感じて京丹波への帰り支度につきます。

師走には、京都八坂神社本殿正面を飾る大注連縄(3.5m×1本、3.0m×2本)をはじめ他十数本を尾長野区の総出で作り上げ、年末に奉納を行い1年間飾られます。
丹波八坂太鼓は、このような中で半世紀の間、海外(スペイン、オーストラリア)での演奏、COP3での演奏、宮城県南三陸町での支援演奏(震災後1年半後から3年間)、全国育樹祭での現陛下御前での演奏。そして京都市内や町内外のイベントや幼稚園、学校、各祭りなどでの演奏を行ってきました。京都・近畿圏を中心に専用トラックでどこへでも行きます。

丹波八坂号

尚、毎年晩秋には、「DONと来い/丹波八坂公演」(町立下山小学校体育館)として年1回約90分間程度の自主公演を行います。一昨年で20回にわたり開催してきました。毎年約400人が町内外から鑑賞に集われます。祇園祭で観ていただいた方々も来場されます。しかし、昨年以降、残念ながら開催出来ないといった状況です。来年こそは。

第20回DONと来い/丹波八坂公演ポスター

丹波八坂太鼓は、伝統曲と創作のオリジナル曲を持つ団体で15人ほどのアマチュアの会です。時代や打ち手は変われども、いつの時代も昔からの疫病退散や五穀豊穣にある「願い」や「祈り」の思いを大切にして演奏を行っています。丹波八坂太鼓は由来のとおり牛とご縁があります。太鼓の革は牛が多いです。だからこそ、太鼓はたたくものではなく打ち込んで願いや祈りを込めて演奏する楽器だと思います。演奏する者がこの思いと太鼓に魅せられ、楽しい気持ちを持ってこそ、はじめて見る方を鼓舞し、楽しくワクワクするような気持ちにさせられると思います。私たちは地域の方や太鼓を見て頂く方、頑張る方への応援団でありたい。そして少しでも皆様に元気で明るいエールが届ければ嬉しく思います。

京都八坂神社本殿に飾る大注連縄3本

来年こそは、祭や各行催事が多分開催されると思います。しかし、コロナ前と異なることが一つあります。それは、日常で普通に行えることは、とても尊いことを改めて感じること。
また、感じました。そのことを忘れずに、丹波八坂太鼓は「感動、感激、感謝」を大切にして練習と演奏をしていきたいと思います。
今日まで支えていただいた家族に感謝。丹波八坂太鼓のメンバーに感謝。そして応援して下さる皆様に感謝。このご縁を大切にして今後も未来へと継続していきたいです。
今はパワーを貯めるとき。そして元気で明るい笑顔で人々が会える時代になるように、願いと祈りを込めて、皆様を応援し続けていきます。

京都八坂神社本殿に飾る大注連縄3本
令和2年1月本殿を飾る大注連縄
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この記事を書いたライター

1960年 京都府京丹波町出身。
大学卒業後、丹波町(現京丹波町)に入庁。
2021年3月に退職。
草創期から丹波八坂太鼓保存会に加わり現在は事務局長兼プレイヤー。
京都八坂神社の田長も務める。
京都府太鼓連合会元会長(現在は相談役)。

|丹波八坂太鼓保存会 事務局長兼プレイヤー・京都八坂神社 田長|祇園祭/還幸祭/丹波八坂太鼓/神撰田/御田祭