『竹の色彩』僕は京都の銘竹問屋Episode-12

竹の色、というと「緑色」を思い浮かべるのがフツウです。
竹林にある竹は、もちろんすべて緑色です。

僕の場合、「銘竹問屋」という仕事柄、製竹された竹、つまり油を抜いた後の竹ばかりを毎日飽きるほど見ているという環境上、竹と聞いて思い浮かべるのは「白色」や「茶色」、「黒褐色」。
おまけに「点々」や「雲模様」といった柄入りの色さえ思い浮かんでしまう始末です。

竹の色。「日本の伝統色」には、竹にまつわる色が思いのほか多くあります。

緑色系で「竹の色」をみてみると、【青竹色】・【若竹色】・【老竹色】といった色があります。

竹藪で生きている竹は、年数によって色合いが変わってくるものです。
今年に出た竹は、産まれたばかりの幼少期です。
特に春先に、筍から皮が落ち始めるまでは、手でゆすれば先端がポキっと折れるくらいの柔らかさです。
枝を開いて、竹になってもまだまだ表面は柔らかく、色は淡いめの緑。
この、「今年出た竹」の色を表しているのが【若竹色】。

竹は、5年もすると、身も引き締まり、竹材として使うのに適した硬さとなっています。
青年期、にあたるのでしょうか。
活力と自信にあふれた年頃。
緑色は濃くなり、明るく鮮やかなトーンとなります。
【青竹色】は、まさにこの頃の色合いです。

【老竹色】は、くすみを帯びた緑色。壮年期を過ぎて老年期にかかる頃、でしょうか。
竹材としての絶頂期は過ぎたけれど、まだまだしっかりと立っているこの年数の竹は、グレーがかった緑色へと変わっています。

昔の日本人は、竹藪の前を通るたびに、竹藪が緑一色ではなくて、色々な緑の竹があり、それが竹の年齢によって変わることを知っていたでしょう。
自然と共生して、自然に愛情を注ぎ、自然に敬意を持っていた表れなのだろうなと思います。

茶色系の竹の色もあります。
煤竹(すすたけ)にちなんだ色として名前がつけられています。
煤竹!まさに銘竹問屋の主力商品です。

煤竹とは、茅葺家屋の屋根の構造材として使われ、200年以上、日々の暮らしの為に立ち上がる囲炉裏の煙で燻され、煤だらけになった竹の事なのですが、その竹を天井から降ろし、水洗いして煤を落とし、火にかけて油を抜いたものが、銘竹でいう「煤竹」です。
縄で梁に括りつけてあった跡は、色づきが薄く、飴色をしていて、この濃淡の差が煤竹らしさでもあります。

まさにそのものの【煤竹色】という色名が存在します。
暗い目の茶褐色。僕が毎日見ている色が、この色なのです。
江戸時代に粋な着物として人気があった色のようです。

煤竹は、煙の当たり方や年数によって色の付き方には差がでてきます。
もちろん、竹そのものの個体差によっても、異なってくるものです。
同じ茶褐色でも、濃い目であったり、薄めであったり。

その微妙な違いも、「日本の色」は理解しています。
「煤竹」とつく色の名前だけでも20種はあるそうです。

【煤竹色】より、ほんの少し明るい【銀煤竹色】。
横に並べてもわからないくらいの微妙さ。
煤にあたる年数が、少し少なかったのかな?

茶褐色に紫がかった【藤煤竹色】。
確かに、とても濃い茶色が紫色側に寄っている煤竹、あります。
これも煤の当たり方の差。

緑がかった茶褐色の【柳煤竹色】。
茶色というよりオリーブ色に近いように思えます。
煤竹は、もともとは青竹の状態で天井に乗っているので、緑と茶色のマリアージュはありえる話です。

この他にも【肥後煤竹色】や【洒落煤竹色】等々。
煤竹が、市井の人々の生活に密着していたのだろうな、と想像します。

「日本の色」は、草木や花の色であったり、古典文学に登場する色であったり、お茶や着物の色であったり、生き物の色であったり、その由来は様々なのですが、ハッキリした色ではなく、そのどれもが繊細で優しい色をして、そのグラデーションの中で、それぞれの由来となる色を再現しています。

四季の移り変わりを感じとる日本古来の美意識が、カタチにかえてきた積み重ねのように思えます。
山や川、 木々や水の流れ、生きるモノの営み。
それぞれの季節が生み出す変化が私たちの目に映り、日本の色として、微妙で美しい色の構成から、文化を創り出してきたのだろうな、と思えます。

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この記事を書いたライター

 
1967年京都市生まれ。
関西学院大学法学部卒。
1915年創業の銘竹問屋・(有)竹平商店4代目、代表取締役。
NHK「BEGIN JAPANOLOGY」「美の壺」などのメディアへの出演や「第8回世界竹会議」の開催組織委員・「日本人の忘れ物知恵会議」のパネラー等を務め、日本の銘竹の美を海外・国内に向け発信する活動を行っている。

|銘竹問屋四代目・ギタリスト|竹/明智藪/嵐山/祇園祭/ギター