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令和3年の初詣はどうされますか?
ニッポンのお正月の風物詩ですが、今回は密を避けるために、日をずらして年内のお参りを予定されている方も多いとか。
ところで来年の干支は牛でしたよね。
そこで今日は「牛」と縁の深い神社をご紹介します。
北野天満宮
牛といえば、真っ先に思い浮かんだのが、北野天満宮でした。
北野天満宮は、菅原道真公を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社です。
天神信仰の発祥の地であり、親しみをこめて「北野の天神さん」、「北野さん」と呼ばれています。
狛牛を撫でると頭がよくなるなどいわれていますよね。
受験生に大人気なので、合格への強い味方になってくれるかと思います。
お参りしたら、ぜひ撫でてみてください。
ところで、北野天満宮には古くから伝わる七つの不思議があるとご存知でしたか?
その一 影向松(ようごうのまつ)
その二 筋違いの本殿(すじちがいのほんでん)
その三 星欠けの三光門(ほしかけのさんこうもん)
その四 大黒天の燈籠(だいこくてんのとうろう)
その五 唯一の立ち牛(ゆいいつのたちうし)
その六 裏の社(うらのやしろ)
その七 天狗山(てんぐやま)
全て紹介するにはページが足りないので、今回はこの中から一つだけご紹介します。
となると、どのお話かわかりますよね。
そう、「その五 唯一の立ち牛」です。
境内にいる神牛たちは伝説にちなんでいるので、みな伏した姿ですが、なぜか拝殿の欄間(らんま)に刻まれている神牛だけが立ち姿なんです。いわれてみれば不思議ですね。
北野天満宮については他にもエピソードがたくさんあり、今回なんと北野天満宮 北野文化研究所様から記事をご執筆いただいたので、詳しくはコチラをご覧ください。
▶︎北野天満宮とお牛さま
文子天満宮
女性になんといってもオススメなのが文子天満宮です!!
良縁成就のご利益がある「文子殿」があり、お守りもカワイイものが多いことから女性に人気になりました。
牛のおみくじがあるので、運試しの後は飾っておくのも良いですね。
ここは天神信仰発祥の神社と云われています。
「あれ?でもさっき、“北野天満宮が天神信仰発祥の地”っていってなかったっけ?」とツッコんだあなた、スルドイです!
そう、実はこの文子天満宮は北野天満宮の前身と伝えられているのです。
菅原道真の乳母だった多治比文子が道真の亡き後、最初に祀ったことが由縁です。
道真を祀っている天満宮は、菅原道真の命日が「丑の日」なので、牛を神使としています。
※諸説あります。
昔は干支を月の記号で使われていましたが、やがて年や日、方位、時間にも割り当てられていきました。
今でも土用の丑の日など「丑の日」を使いますよね。
三室戸寺
別名「あじさい寺」とも呼ばれていますので、あじさいでご存知の方も多いのではないでしょうか?
そんな三室戸寺には、宝勝牛と呼ばれる狛牛があります。
牛の口の中にある玉を触ると強運を呼び寄せるといわれています。
令和3年をラッキーイヤーにしたい方は、ぜひとも訪れてみてください。
ちなみに牛のお腹には、小さなのぞき窓があり、そこから胎内に納められた牛の木像が見えるそうです。
この木像には、こんな逸話が残されています。
寅右衛門という百姓の夫婦が宇治に住んでおり、子牛を買いました。
子牛は弱々しく元気がなかったので、寅右衛門は心配していました。
あるとき、その牛が粘液のついた玉を吐き出しました。
それをキレイに洗い、「牛玉」として大切にしました。
玉を吐き出してから牛は元気に育ちました。
この話は、たちまち評判になりました。
牛のことが有名になると、権衛門という者がやって来て、「自分の牛と戦わせてほしい」と挑んできました。
寅右衛門は、とんでもないと断りましたが、牛が寅右衛門の夢に出てきて戦わせてほしいと頼むのです。
そこで、闘牛を行ったところ、見事に寅右衛門の牛が勝ち、賞金を手にし、お金持ちになりました。
その後、寅右衛門は仏門に入り、京都の仏師に牛の木像を作らせ、その体内に牛玉を納め、三室戸寺に奉納したといわれています。
今回は、牛にまつわる神社を3社ご紹介いたしました。
密を避け、感染対策をしっかりして、お参りしてくださいね。
皆さま、来年もKLKを宜しくお願いいたします。
良いお年を!