北野天満宮とお牛さま

来年(2021年)は丑年。平安京の天門(北西)、乾の方角に位置する北野天満宮の境内には、大変多くの牛(臥牛)が鎮座なさっています。
12年に1度訪れるこの丑年に合わせて、天神様とお牛さまの深いご縁に関して改めてご紹介させていただきたいと思います。

国宝 御本殿

神の御使い

お稲荷さんには狐、八幡さまには鳩が多くみられるように、天神さまには臥牛の石像が数多く奉納されています。
なぜかというと、狐、鳩、牛は、それぞれの神様の御使いとして崇められているためです。
天神さまにとって牛は神のお使い。
ですから門前には多くの牛が鎮座し、みなさまをお出迎えしているのです。

 

なぜお牛さまなのでしょう?

ではなぜ、天神様の御使いとして牛が選ばれたのでしょう。
まずは、天神さまこと菅原道真公(菅公)が丑年生まれであったことが関係しています。
菅公は承和12年(845)に誕生され、この年は乙丑(きのとうし)の年でした。
そして、境内の牛が立ち牛ではなく臥牛である由来となったのが、北野天神縁起絵巻で語られる次のような伝説によります。
曰く、延喜3年(903)大宰府で薨去された際、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との御遺言があり、御遺骸を轜車(牛車)でお運びする途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなった場所に埋葬したというものです。
絵巻の詞書には「筑前の国四堂のほとりに御墓所と点しておさめ奉らんとしける時、轜車道中にとどまりて肥性多力の筑紫牛曳けども働かず其所をはじめて御墓所と定めて今の安楽寺と申すなり」とあります。
もともと目指した場所ではなく、牛が指し示した場所に埋葬されたのです。
菅公がその最後を託した牛、いかに大切かが思われます。
この場所が、のちの安楽寺、そして太宰府天満宮となりました。

国宝「北野天神縁起絵巻」の序文には門前にて休む茶色と黒色の牛が描かれており、絵巻物の巻5には菅公の御遺骸を運ぶ茶色と白色のまだら模様の牛が描かれています。
それらのうち巻5のものに加え、序文の牛3頭のうち2頭が臥牛の姿です。
菅公の御墓所を定めた牛の姿が境内にあまたある臥牛の姿の由来であるといえます。

国宝 北野天神縁起絵巻(承久本)巻5.葬送の場面

お牛さま信仰の由来と臥牛

北野天神縁起絵巻には、菅公が配所の大宰府にある天拝山で無実の罪を神に訴える祭文を読み捧げる場面があります。菅公は七日七夜祈られ、その無実を天に聞き届けられ「天満大自在天神」の神号を授けられました。これがいわゆる神上がりの場面であるといえます。

「大自在天」は元々ヒンドゥー教の神シヴァが仏教に取り入れられた姿であるとされており、「三目八臂」(さんもくはっぴ)三つの目と八本の腕を持ち、白い牛にまたがった姿であらわされます。この牛の姿は臥牛の姿です。
また、菅公のもう一つの神号は「日本太政威徳天」。
密教の大威徳明王に由来しており、大威徳明王は「六面六臂六足」で炎を背負い、水牛にまたがったお姿をしています。この水牛もまた臥牛の姿です。

菅公は、古来より聖地・霊地とされてきた平安京の北野の地に鎮まった際、もともとこの地に祀られていた火雷神(摂社火之御子社)の信仰をも取り込み、それらと結び付けて考えられるようになりました。
火雷天神、のちに日本太政威徳天、天満大自在天神などの神号が確立することにより、菅公の御神霊に対する信仰が「天神信仰」として広まり、侍従している牛が後世には、菅公の「神の御使い」と称され、神秘的な伝承を現在でも多く伝えるに至ったと考えられます。

 

撫牛

また境内の臥牛は、撫牛と言って、いつの頃からか撫でることでご利益を与えてくれるありがたい存在として崇められるようになりました。
文道太祖 風月本主(ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)と称えられた天神さまにあやかろうと、頭が良くなるように牛の頭を撫で学問成就を願う、また足に不調があれば足を撫で、手に不調があれば手を撫で治癒を願うというふうに。
遠い昔より、天皇家や貴族、武家はもとより広く庶民に至るまで信仰を集めてきた天神さまらしい信仰の形といえるでしょう。

境内の撫牛

天神さまのお牛さまいろいろ

北野天満宮境内の北西に位置する牛舎にお祀りされている臥牛は、当宮で最も古いものであると伝わっており、少なくとも江戸時代にはすでに、「一願成就のお牛さま」として親しまれていたことがわかっています。
現在朱塗りの鳥居が設置され、鈴なりの祈願絵馬が掛けられている牛舎には、多くの学生・受験生等が訪れ、祈りを捧げられています。長年の皆さまの崇敬(撫でさすり)の結果、お牛さまの頭部は少し欠け、体躯も丸みを帯びてきています。
一願成就所、牛舎、乾さんとも呼ばれて親しまれた歴史が刻まれたお姿といえるでしょう。

近代京都画壇の重鎮であった今尾景年(1845〜1924)も、この牛舎に願い事をしていたようで、その結願に感謝し当宮に自身の作品を奉納しています。また景年は自室に天神さまの御神影(肖像画)をかけていたほど天神信仰に篤く、その天神像は現在当宮に奉納され宝物殿に所蔵されています。
一願成就のお牛さま(牛舎、乾さん)は、本社への信仰とともに、願い事が必ず叶う、一願成就所として古くより特別な信仰をうけ、ご利益あらたかな社として、遠方よりの参詣者が絶えなかったと伝わります。

牛舎の北側には、柵を巡らし注連縄で囲まれた大きな石、亀石があります。
牛の石像が陽石を象徴し、亀石は陰石を象徴するともいわれ、両方を御参りし御神徳をいただく、陰陽合い和す陰陽石として信仰されてきました。
これは古代信仰の名残りともいわれています。

境内には他にも子連れのお牛さまや、赤い目のお牛さまなどさまざまな特徴を持つ臥牛がございます。
御影石や大理石かと思われる特徴的な石のお牛さまもあり、ご参詣の皆さまにも、それぞれお気に入りのお牛さまがおられるようです。

一願成就のお牛さま

天神さまのお正月〜牛の社参とジャンボ絵馬〜

令和3年は丑年。12年に1度の丑年は北野天満宮にとっても特別な年です。
お正月には慣例として本物の牛が天神さまにお参りする「牛の社参」が行われてきました。
楼門には、新年の干支・牛を描いた大絵馬が12月上旬から掛けられます。

また御本殿の蛙股には、境内で唯一の立ち牛、雄々しい姿のお牛さまが彫られています。
こちらが唯一の木造彫刻であり、御祭神に一番近いお牛さまです。
御参詣の際に皆さまが鳴らす鈴(現在は撤去中)の上部にございますので、ぜひご注目いただけましたら幸いです。

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この記事を書いたライター

 
略歴
1984年、静岡県生まれ。
京都大学大学院 人間・環境学研究科博士課程修了(人間・環境学博士)。 
大学では京都の近代工芸を中心に研究してきました。
現在は2018年に設立された北野天満宮 北野文化研究所にて、北野天満宮の豊かな歴史・信仰・文化・御神宝を研究し、皆さまにわかりやすい形で発信すべく奮闘中です。

|北野天満宮 北野文化研究所 室長|北野天満宮/丑年/臥牛/撫牛/牛の社参