長刀鉾をはじめ鉾のお稚児さんは有名であるが、久世駒形稚児を知る人は少ないかもしれない。久世駒形稚児は上久世の綾戸國中神社の氏子から2人が選ばれる。一人は17日の神幸祭、もう一人は24日の還幸祭に中御座の神輿の先導をする。八坂神社にある素戔嗚尊の和魂(にぎみたま)と綾戸國中神社にある荒魂(あらみたま)が揃わないと祇園祭は行えないと言われている。久世駒形稚児はその荒魂のご神体である駒形(木彫りの馬の頭)を首から下げてまさに神の化身として神輿を先導する。故に八坂神社境内への参内も馬から降りず騎乗したままの参内が許されるのである。今回はその氏子地区である上久世地区を訪れ綾戸國中神社の責任役員の小西武男会長と、2人のお稚児さんのご両親とご本人にインタビューをした。
いわれがあって代々この地区から選ばれる久世駒形稚児ですが、稚児に選ばれたときのお気持ちはいかがでしたか
▶︎戸倉 悠翔くん 頑張ろうと思いました。
▶︎仲子 陸哉くん 最初は不安だったけど、練習したらちょっと慣れました。
▶︎戸倉 博昭さん(お父さん)
大変光栄なことで恐縮しています。私は、氏子地区ですので、久世駒形稚児の位が高いのは存じておりました。
▶︎仲子 彰人さん(お父さん)
大変な役をさせていただけるのだと感じています。私は今この地区に住んでいないので、位が高いことまでは知りませんでした。ただ、選ばれたからには、やり遂げてほしいですね。
このあとどのようなスケジュールになっていますか
▶︎戸倉 博昭さん
「7/13に社参の儀が行われます。その後お昼から八坂神社へお参りに行きます。美容室で着付けをし、駒形をつけない正装をまといます。我々(父親二人)は裃を着用します。7/17の神幸祭は陸哉くん、7/24の還幸祭は悠翔が稚児になり、神輿を先導します。
お祭り本番に向けて心がけていること、練習していることはありますか
▶︎仲子 彰人さん
宮司さんの指導により、座り方や歩き方を練習しています。歩く時は、手を添えなければならなかったり、立っている時は、足を60度に開かねばならなかったり、大変なようですね。気をつけていることは、子供の姿勢ですね。猫背気味なので、少し心配です(笑)。
▶︎陸哉くん
毎日座ったり歩いたりする練習、あと、もちろん馬に乗る練習もしています。乗る時間が長いので、しっかり練習します。乗るときは、落ちそうで怖かったです。
▶︎戸倉 博昭さん
仲子さんが仰るように立ち居振る舞いはもちろん、馬に乗る練習もしていますが、まだ幼いので難しいようです。心がけていることは、健康面ですね。当日病気になったら大変ですので、しっかり管理したいと思っています。あっ、きゅうりだけは食べないようにしています(笑)。
▶︎悠翔くん
(馬に乗って)走るときに立ったり座ったりするのが難しいです。でもとっても楽しいです!
学校ではどんな感じですか
▶︎陸哉くん
「ほんまにできんの?」「大丈夫?」とみんなから心配された。応援もしてもらって嬉しいです。余計に頑張ろうと思いました。
▶︎仲子 彰人さん
みんなに言われて喜んでいるようです。父としてもみんなから応援してもらって、嬉しい限りです。
▶︎悠翔くん
「新聞載ってたやん」「頑張りや~」とみんなに言われて嬉しいです。やる気になります。
▶︎戸倉 博昭さん
悠翔が注目され、みんなから応援してもらえることは父として誇りに思います。どうやら馬に乗れることが楽しみのようです。
お子さんが久世駒形稚児の経験を経てどのように成長してほしいと思われますか
▶︎仲子 彰人さん
大舞台に立たせていただくので、人生の自信につながればよいと思っています。これからの人生で何事にもチャレンジする精神を持つように、素敵な思い出の一つになればいいなと願っております。
▶︎戸倉 博昭さん
望んでもできる経験ではなく、今年は祇園祭1150年という記念すべき年ですので、誇りに思います。人前でご奉仕する、なかなかない経験を「物事をやり遂げる力」にしてほしいです。
ありがとうございました。体調管理に気をつけて無事にお役をお務めいただきたいと思います。ところで小西会長も戦後まもない昭和23年に稚児を務められたと伺いましたが、今と当時の違いをお聞かせいただけますか。
▶︎小西会長
稚児宿である四条花見小路の原了郭さんまで今はタクシーで行きますが、私のころは久世から馬とリヤカー3台そしてお供3、40人で参内していました。
当時は幹線道路もまだ舗装されておらず四条寺町の御旅所での食事休憩などをはさんで7時間かけて参内いたしました。道が悪いものですから市電の通っているところはその線路の敷石を歩くのですが、馬の蹄が滑ったり、電車が通るたびに道をあけたり大変でしたが懐かしい思い出です。
▶︎小西会長
当時は氏子地区の嫡男(その家の跡とり)でないと稚児を務められず、10年先までの稚児の予定がほぼ決まっておりました。
しかし近年は少子化で稚児がなかなか決まらない年もあります。娘さんの嫁ぎ先の男子にお願いしたりもして上久世地区の子という伝統を守るようにしています。
そのような場合は、稚児のお父様が久世駒形稚児のことをご存知ないことが多くひとつひとつ丁寧に説明をしております。
祇園祭においてこの地区がそのような大切な役割を担っていることを知って驚かれるのですが、同時にこの地区に住まうことやその縁を受け継いでいることに誇りを感じていただけることが多いです。祭や伝統産業の担い手不足はどこも同じような事情でしょうが、久世駒形稚児の伝統と誇りを後世にしっかりと受け継いでもらいたいと願っています。
※2019年夏の記事です。
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