小学生の頃、前祭の宵々山、宵山あたりの夜店に友人と遊びに行くのが私にとっての祇園祭でした。中学生になって、ご縁があり凾谷鉾でお囃子をさせていただきました。3年間ほどでしたが、今となっては良い思い出です。

7月24日の夜は、西村家にとりましては特別なものでした。還幸祭の神輿渡御の夜は親戚や家族の友人が大勢集まって宴会をして、店の前でお神輿をお迎えしておりました。
また父親が平成6年から生祥学区の清々講社(八坂神社と地元学区を繋ぐ町衆組織)の役を仰せ付かってからは、店の前でお茶の接待をしておりました。その後、私の3人の子どもも小学校や幼稚園に通う年齢になり、今度は子どもの友人が大勢集まり、その人数に驚いた年もありました。自分たちがしてきたことを、今度は子どもがしているのだなと思うと「こうやって歴史を後世に伝えているのだ。」と感じます。
 
2012年8月に京の三条まちづくり協議会の事務局長に就任することになり、翌年の2013年からは「三条通お神輿祭り」として、私は店の前ではなく、京都文化博物館や株式会社千總様前でお神輿をお迎えすることになりました。その間も子供たちは店の前で、大勢の友人とお茶の接待をして、お神輿をお迎えしていました。

1996年より祇園祭還幸祭のお神輿の渡御を三条通でお迎えするために「三条通りお神輿まつり」が始まりました。
京の三条まちづくり協議会の地域は7つの町内、3つの旧学区にまたがっており、地域住民の交流を図ることと、地域のお祭りを子供たちや新住民の皆さんに知ってもらうことも、開催する目的の1つであります。

元来、八坂神社のお祭りであります祇園祭は、7月17日の神幸祭と7月24日の還幸祭にお神輿が渡御されます。そしてそれぞれ前祭、後祭として同日の朝に山鉾の巡行が行われていました。その山鉾の巡行が1966年から前祭の日(7月17日)にまとめて巡行することになりましたが、八坂神社のご神事でありますお神輿の渡御は今でも神幸祭と還幸祭の2度行われます。
この三条まちづくり協議会の地域は、後祭の地域で、昔から7月24日にお祭りをしておりました。また3基のお神輿が全て渡御される数少ない通りで、祇園祭にとっても重要な通りであるとのお話も伺いました。
その三条通で7月24日、私たちは賑やかにお神輿をお迎えしております。初めは京都文化博物館ウッドデッキ前のみでの開催でしたが、西側の地域でも開催しようということで、株式会社千總前との隔年開催となっております。
お神輿の到着前には、地域の皆さんや子供たちとの交流を図るため道路に交通規制をかけていただいて、京都学生祭典や京都外国語大学の学生さんと一緒に、花火やヨーヨー釣りなどを行っております。また祭りの雰囲気を盛り上げるために丹波八坂太鼓の奉納演奏もお願いしております。到着されたお神輿は担ぎ手の皆さんで差し上げられ、非常に勇壮な姿を見ることができます。

最近は祇園祭のお神輿の渡御も年々有名になり、地元の方だけでなく、海外からの方を含め、非常に多くの観光の方も「三条お神輿まつり」にいらっしゃいます。また2014年の7月24日には後祭の山鉾の単独巡行が復活致しましたが、道路環境の問題で、御池通が巡行ルートになっております。1965年まで後祭の山鉾はこの三条通を巡行しておりました。そして、いずれは元の姿に戻して、三条通を巡行していただければと思います。
そのためには電線を整備する必要があります。当協議会では以前から電線地中化・無電柱化を希望する意見がありました。要望書の提出もしておりましたが、中々実現には至りませんでした。そこで昨年、地域の生祥、日彰、明倫自治連合会様、祇園祭関係の公益財団法人祇園祭山鉾連合会、鷹山保存会様、三若、四若、錦の神輿会様、2つの学校様、8つの企業様に三条通の新町~寺町間の電線地中化・無電柱化の要望書への賛同の同意書をいただき、京都市へ再度、要望書を提出いたしました。そしてこのたび電線地中化・無電柱化の第7期計画の早期着手道路に選定されました。また今年度より地上器機の設置場所を考える電線共同溝予備設計に入ることも決まりました。この場をお借りいたしまして、みなさまにお礼申し上げます。

無電柱化前

無電柱化前

無電柱化後イメージ

無電柱化後イメージ

三条通で朝に山鉾をお迎えして、夜にお神輿をお迎えすることが実現すればどれほどすばらしいことでしょうか。
祇園祭の後祭と還幸祭はこの地域の皆さんが交流し、歴史を感じ、みんなでこれからのまちづくりを考える1つの大きな鍵となるように思います。そのためにも、「三条通りお神輿まつり」はいつまでも続けていきたいと存じます。

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西村 祐一

私は三条通柳馬場東入にて漆器工芸品の販売店(西村吉象堂)と画廊(ギャラリー吉象堂)を営んでおります西村祐一と申します。
当店は大正13年(1924年)に漆器商として、祖父の代にこの地で創業いたしました。
慶応年間の建物でしたが、平成3年に改装し現在の形になりました。
大黒柱や一部の部屋、骨組みはそのまま残し、およそ1年半かけて改築しました。
改築前の様子は店内のスケッチ画やパネルの写真でご覧いただけます。
店内中央の展示台の下には、三畳ほどの地下倉庫があります。
周りが石と漆喰で固められており、火災の際に大切なものを入れておくために作られたのではないかと聞いています。

               

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