大船鉾復興裏話〜お囃子からはじまった鉾復興〜

祇園祭の本質と大船鉾の位置付け

祇園祭は様々な人や団体が運営に関わる複雑な祭礼であり、外から見ていると(中にいても)その全貌を把握することはとても難しいのですが、祭りの本質は、八坂神社(祇園社)が主宰する「神輿渡御」であり、そのお神輿さんを、八坂神社(祇園社)氏子区域の町衆がお迎えするために主宰するのが「山鉾行事」です。

山鉾行事は、室町期以降、「町」(ちょう)(50~60世帯から構成される行政最小単位)ごとに行われ、現在山鉾を巡行に出す町は(復興間近の鷹山を含め)34ヶ町あります。幕末の騒乱で罹災し、平成26年(2014)に150年ぶりに山鉾巡行へ復帰した大船鉾は、四条町(新町四条下ル)が出しています。

新町四条周辺

大船鉾囃子復興と私

私はもともと上京区の生まれ育ちですが、母の実家が八坂神社の氏子区域である下京の山鉾町近くにあったため、小さい頃から7月になるとおばあちゃん宅(母の実家)を拠点に囃子を聴いたり鉾を観て回わったりと祇園祭(山鉾行事)に慣れ親しんでいました。とくに囃子を聴くのが大好きでしたが、縁がなく囃子方になることはできませんでした。それでも毎年飽きもせずに、一見物客として山鉾町に通ったものです。そしてこの頃から、大船鉾のことは「幕末の大火で鉾を焼失し今は巡行には出ないが、毎年飾り席を設けて居祭をする鉾」ということで、知っていました。

居祭り

それから30年余年、偶然平成9年(1997)の30代最後の7月、私はやはり見物客のひとりとして例年のように宵山を見て回っていたのですが、そこで130年ぶりの「大船鉾囃子の復活演奏会」に遭遇します。そして、大船鉾囃子方公募を知って加入させていただくこととなった次第です。後に聴いた話では、四条町では、その2年前の平成7年(1995)、町内在住者の減少や高齢化による後継者不足を理由に、幕末の鉾焼失後ずっと続けてこられた「居祭りの飾り席」を中止されていたそうです。ところが逆に、翌平成8年(1996)になって、四条町から祭りの賑わいが無くなることを憂いた町内若手有志が、町内長老らの反対を押し切って幕末から途絶えていた囃子を復興されたとのことです。

「餅切り」が鉾復興の素地に

私が囃子方に参加した当時、町内にはまだ囃子復興にすら反対の方も多く、ましてや「鉾の復興」は口に出してはならないタブーとされていました。ところが毎年少しずつ公募囃子方が増えてくるにつれて、自分たちも町内の神事を手伝えないかという雰囲気が、囃子方の中から自然と徐々に出てきました。そして囃子復活後数年経ったある年、囃子方有志が神事お飾りのあと片付けを手伝うことになりました。四条町では、例年7月17日の巡行が終わるとお供えの鏡餅を大包丁で切り分けて町内各戸に配る習わしがあります。この「餅切り」は、それまでは町内のご高齢の方が二人がかりで何時間もかかって切り分けておられたそうですが、公募囃子方の中の若手一人が代わって餅切りをすると、1時間もかからずにカチカチの鏡餅が見事に50個以上に切り分けられました。これを見て囃子方復興に反対であった方も「囃子方ができて若い人が集まってきて良かったやないか」と喜んで下さいました。この囃子方による「餅切り」はその翌年以降も続きますが、いま振り返れば、この一件のおかげで、町内(保存会)が囃子方の存在を認めることとなり、両者の間に絆というか信頼関係が生まれただけでなく、山鉾行事を担う後継者不足が一気に解消してその後の大船鉾復興につながる素地ができたと言えるほどの大きな契機であったということが言えます。
 
 

山鉾行事の運営

山鉾行事の運営は、祭りの主宰者である町衆(各町に大店を有する旦那衆)が、その下に祭りを執行する囃子方、作事三方(大工方、手伝方、車方)、曳き方を雇い入れる、というピラミッド型運営組織によって執行されます。すなわち、旦那衆が大きな資金を負担して豪華な装飾の山鉾を造り、囃子方や作事方、曳き方に祭りの執行を請け負わせるという型であり、山鉾連合会元理事長の深見茂氏のお言葉を借りれば、「山鉾行事は、参加型の祭りではなく請負型の祭りである」ということになります。

私は現在大船鉾の一囃子方であると同時に、大船鉾保存会(公益財団法人)の役員も務めております。すなわち請負人の役割として囃子方を務めると同時に、主宰側の役割として大船鉾の山鉾行事全体の運営にもかかわっているわけです。四条町には(おそらく他の山鉾町でも)、鉾の装飾品には町内の人間しか触れてはならないという不文律がありますが、町外から参加してお祭りに深くかかわる我々囃子方は、「大船鉾保存会の役員」という形で町内の方に準じた存在という形にしていただき、鉾の飾り付けも手伝えることになりました。現在、保存会役員の半数は、公募等で町外から集まってきた囃子方メンバーで占められているということは、数ある山鉾町の中でも、ユニークな点であると言えます。

※2019年夏の記事です。

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この記事を書いたライター

 
京都市上京区在住。
公認会計士。

祇園祭後祭で最後尾を飾る大船鉾の囃子方代表、ならびに公益財団法人大船鉾保存会役員。
大船鉾150年振りの復興に尽力するとともに現在もその運営に携わる。

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