祇園祭の頃だけ、開かれる井戸

祇園祭の頃だけ、開かれる井戸があります。
御手洗井(みたらいい)。
通常は7月15日の早朝(いわゆる宵々山の日)に開かれ、7月24日(いわゆる後祭の日)に閉じられます。
四条烏丸交差点から北へ約100メートル。ビルの間に、ひっそりと佇んでいます。鳥居が立っているのですが、普段は木の柵が閉められているので、気が付かないで通り過ぎているかも。
ここには祇園御旅所、もしくは御旅所を守っていた藤井家の邸宅があったとも言われます。清らかな水が湧くので、これを祭神である牛頭天王に供えていました。
室町後期に、織田信長が御旅所を移転したとき、残されたこの井戸が名水であると聞き、祭の期間だけ井戸を開放するように命令したものが、今まで、受け継がれています。
水脈が深く、当時の人には、祇園社(現在の八坂神社)に繋がっていると信じられていました。
土用の日にこの水を飲み、あんころ餅を食べると一年間無病息災で暮らせると言い伝えられています。
烏丸通の拡張で移転し、地下鉄工事の時に水が出なくなってボーリングし…といろいろな事がありましたが、今でも飲用できる水が湧いているのはありがたいことです。

昔、地下水を組み上げて暮らしていた頃、井戸は汚染されやすかったそうです。水を汲む人がつるべを汚せば下の水脈に入ってしまいます。もしそれが、風邪やインフルエンザにかかった人だったら…いや、もっと恐ろしい伝染病を持っていたら…。
他にも、鴨川が氾濫したり、大雨で水没したりすれば、泥や下水を流れるはずの汚染物が流れ込みます。ネズミやネコなどの死骸が流れ込んで、そこで腐敗したらどうなるでしょうか。

私が御手洗井の事を知った時、不便だなあと思いました。せっかく良質な水が出るのに、仕舞っておくなんて、と。
でも、祇園祭をいろいろ見ているうちに、捉え方が変わりました。昔の人は、綺麗な水、安心して飲める水を拝んでしまうくらい、水の汚染が恐ろしかったのかなあ、と。
そして、神水を大事に守っておけば、日常的に使う井戸が何か起こって飲めなくなったとしても、非常用として使うことだって出来るのです。しかも、水脈が他の井戸と違うというのであれば、隣の井戸が汚染されても、助かる可能性があります。
実践的な知恵も、この習わしの裏に隠されていたのかもしれません。
「非常時のためにこの井戸は保存、だから使用禁止!」と言っても、なかなか守ってもらえない。でも、宗教的に使えないということにしておけば…当時の町の人の思いが偲ばれませんか。みなさんは、どう思われますか?

そうそう、今年(2019年)の長刀鉾稚児さんは、和菓子屋さんの息子さんでしたね。そして、そのお店は、御手洗井のすぐ傍にあるんですよ。あんころ餅、置いてはるかなあ。

※2019年夏の記事です。

長刀鉾稚児家インタビュー「祇園祭への思い」を読む

参考:京都新聞 ふるさと昔語り



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この記事を書いたライター

 
写真家。
京都の風景と祭事を中心に、その伝統と文化を捉えるべく撮影している。
やすらい祭の学区に生まれ、葵祭の学区に育つ。
いちど京都を出たことで地元の魅力に目覚め、友人に各地の名所やそれにまつわる歴史、逸話を紹介しているうち、必要にかられて写真の撮影を始める。
SNSなどで公開していた作品が出版社などの目に止まり、書籍や観光誌の写真担当に起用されることになる。
最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

主な実績
京都観光Navi(京都市観光協会公式HP) 「京都四大行事」コーナー ほか
しかけにときめく「京都名庭園」(著者 烏賀陽百合 誠文堂新光社)
しかけに感動する「京都名庭園」(同上)
いちどは行ってみたい京都「絶景庭園」(著者 烏賀陽百合 光文社知恵の森文庫)
阪急電鉄 車内紙「TOKK」2018年11月15日号 表紙 他
京都の中のドイツ 青地伯水編 春風社
ほか、雑誌、書籍、ホームページへの写真提供多数。

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