KLKの編集長を務める私も祇園祭のお神輿のご奉仕をさせていただいている立場から記事を書かせていただくことになりました。山鉾が有名な祇園祭にとって神輿とは何なのか、そのことから書き出すといくら字数があっても足りませんので、今日は三若神輿会の歴史と、三若、四若、錦それぞれの神輿会について軽く書いてみます。
 
 

三若神輿会は、なんで「三」なの?なんで「若」なの?

元禄時代に二条城の南側、三条大宮あたりに三條臺村(さんじょうだいむら)という地域がありました。また江戸時代には「若中」という青年団が全国にあったといい、三條臺村の若衆ということで三條臺若中となったのだと思われます。これが今の三条台若中(三若)のルーツです。

もっとも三條臺若中が本当に若者だけであったわけではなく、この地域で地主や商売をしていた旦那衆たちが自分たちを気取って若中と呼んでいたとも思われます。その三條臺若中も発足当初から祇園祭の祭礼を担う「講」であったのか、それとも界隈の旦那衆の倶楽部であったのかは定かではありません。しかしこの地域が祇園祭発祥の地である神泉苑と隣接していることを考えると、祇園祭の中心神事である神輿渡御に三若がいつからか密接に関わってきたことは疑う余地はありません。
 
 

三若の神輿舁きの人って

江戸時代中期から三若が中御座の神輿を担いていたのかどうかは諸説あります。三若が神輿を担いでいたという説もありますが、三若が何らかの形で大宮神輿(いまの中御座)に関わってはいたものの、実際に神輿を担いでいたのは摂津今宮の蛤売りの人たちが京都で蛤を売る利権と引き換えに大宮神輿を担いでいたと考えられています。それが江戸末期か明治になり再び三若に神輿が返ってきました。しかし舁き手の変遷はあったとしても元禄期から三若が中御座に関わっていたことはほぼ間違いのないところです。

神輿会としての今の三若は当時の創始者たち(いわゆるチャーターメンバー)の子孫が執行部として三若神輿会(さんわかしんよかい)を構え、その下に10の会から成る三若みこし連合会を組織しています。10の会も地縁や人の縁などそれぞれ三若神輿会本部とのルーツを持っています。

どの会の舁き手もなかなか勇ましい風体の人が多く、祭のとき以外に目が合ったら怖くて目を逸らしてしまいそうな人も多いのですが。でも見た目は怖くても信心深く熱く優しい人ばかりです。建設業や運送業など普段から肉体労働で体を鍛えている人もいれば、学校や大学の先生、役所の人、警察官まで幅広い職種の人が担いでいるのが三若の神輿です。
 
 

三若、四若、錦の神輿の覚え方

続いて八坂神社の三つの神輿会について軽くご紹介します。四若は「よんわか」と間違って読む人がいますが「しわか」です。三若が三條臺村から興ったのに対して四若神輿会は四条の高瀬川の船頭衆がルーツです。錦神輿会は錦市場振興会の方々が中心となっています。江戸の末期か明治の初期かある時期には三若が三基の神輿すべてをご奉仕していましたが、だんだんと三基の神輿をご奉仕することが難しくなり、明治末期に東御座を四若が、昭和に入って西御座を壬生村がご奉仕されることになりました。その後、西御座は戦後になって錦神輿会がご奉仕することとなります。

「三若、四若、錦の神輿の違いが判らない」とよく言われます。私も三若に入ったころはよくわかっていませんでした。自分なりに語呂合わせのように覚えましたので今日はその方法をご紹介します。

中御座は主祭神の素戔嗚尊(スサノオノミコト)がお乗りになりお屋根が六角で三若神輿会がご奉仕します(担ぎます)。三若の「三の倍数の六角」の神輿と覚えます。もっとも中御座が六角なのはほかに理由があるのですがそれはまた別の機会に。東御座は櫛稲田姫尊(クシイナダヒメノミコトと読み、素戔嗚尊の奥方)が乗られお屋根は四角で四若神輿会ご奉仕されます。「四角で四若」と覚えてください。西御座はこの二神のお子様たちの神様である八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)がお乗りになりお屋根は八角で錦神輿会がご奉仕されます。「錦の『に』で西御座、八柱だから八角」と覚えてください。
 
 

法被で見分ける三若、四若、錦

三基の神輿は別々のコースを動くことが多いのですが、三基集まるときは必ず中御座、東御座、西御座の順に決まっています。三基が集まったときの神輿の見分け方は先に書いた屋根の形で見分けるのが最も簡単ですが、神輿に集まっている輿丁(舁き手のこと)は法被で見分けます。

三若は襟に三若と黒字で染めてあり、鱗紋と呼ばれる三角形の紋が法被の背にはいっています。四若は「若」の文字と藍色で横4本の紋。四若はよく見ると赤い法被と青い法被に分かれています。赤法被は地元の本部役員さんで青法被はそれ以外から来ている輿丁さんたち。錦はわかりやすく「錦」と大きく染めてあります。さらに本部役員は八坂神社の神紋を赤く染めた丈の長い法被を着ているのですごく目立ちます。三若、四若、錦とも会長をはじめ執行役員は黒羽織を着ていますが、この羽織の着用基準も各会によって異なります。黒羽織が最も少ない四若は会長のみが着用。錦は副会長以上が黒羽織。三若は幹事長以上の三役と三役経験者、三若はさらに祇神会という財団の理事長など黒羽織がたいへん多く「カラス」と揶揄されることも。
 
 

三若と四若と錦の話の続き

それぞれの神輿の前で神輿の動作を指示している人がいます。「マイク持ち」と呼ばれることもありますが祇園祭では三社とも幹事長(もしくは幹事長が指名した人)がその責に就きます。神輿を上げる(動かす)、止める、差す(腕を伸ばして神輿を持ち上げる)、廻す(神輿を差したまま回転させる)といった動きは幹事長が扇子と笛とマイクを使って指示をします。

「ホイト、ホイト!」と声をかけるのも幹事長の仕事です。ちなみに「ホイト」とは「祝人」と書き、おめでたい掛け声とされています。このホイトのテンポで神輿が速くなったりゆっくり動いたりします。

ツウな人は三社の神輿のそれぞれの担ぎ方を見てほしいと思います。わかりやすいところでは神輿を上げたり降ろしたりするときの掛け声が違います。三若は「ヨ~イトセノ」で3本打ちます。四若と錦は「ヨ~サノ」で3本打ちます。

またもっとよくよく神輿を観察していただければ神輿の担ぎ方が少しずつ違います。このあたりのことをもう少し詳しく書きたいのですが今年は時間と字数が足りません。三社が集まって順番に担ぐポイントで見比べていただけるのが分かりやすいのですが。

今年の24日還幸祭なら21時30分ごろの四条大橋と、22時過ぎ頃からの八坂神社境内が三社を定点観測できる絶好のポイントになりますのでぜひ!
 
 
※2019年夏の記事です。

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この記事を書いたKLKライター

三若神輿会幹事長
吉川 忠男

 
三若神輿会幹事長として、八坂神社中御座の神輿の指揮を執る。
神様も、観る人も、担ぐ人も楽しめる神輿を理想とする。
知られざる京都を広く発信すべく「伝えたい京都、知りたい京都 kyotolove.kyoto」を主宰。編集長。
サンケイデザイン代表取締役。

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