最近、確かに船岡山に訪れる方が増えて来た。家族連れや友人同士・カップルそしてお一人様などが船岡山に登り、それぞれの楽しみ方で余暇を過ごされ、癒されている。ライターのレポートを拝見していると、インスタ映えする見どころが多い。しかし、まだまだ見過ごされている見どころがある。少し視点を変えて見ると、新しい発見があなたを待っている。さあ、地図を片手に再度、船岡山を散策して欲しい。

1 北の入り口の噴水と燈籠

船岡山への入口は、現在8ヶ所あるが、どの入り口が正門か分からない。噴水があり、一対の燈籠があり、北の入り口が正門と推察される。


 

2 昔の燈籠

頂上近くにある花崗岩製の昔の石燈籠。今では水銀灯に取って代わったが、燈籠中には裸電球がボーット灯っていて、不気味で情調があった。

 

3 銀杏の大木と水生植物池

銀杏がなる雌株のイチョウの大木の横に、水生植物池がある。季節によっては花菖蒲や蒲が咲き乱れる。


 

4 旧公園管理事務所

回りの樹木が選定され、地元企業と京都市が連携して、「地域が主体の公園利活用・運営」を目指した仕組みの構築に向けた取組を展開。自然と歴史が豊かな船岡山公園を拠点にした地域の活性化に繋がる取組に期待したい。

 

5 チビッコ広場

公園として整備された時から、チビッコたちに親しまれてきたすべり台やブランコがある。刑事ドラマの女優名取裕子や沢口靖子が、ベンチに腰掛けて犯人を説得し白状さす撮影現場でもある。

 

6 チャートの地層

旧西陣青年の家跡の北側にチャート地層の露頭がある。岩石の上に蓄積された生物の有機物などが、永い年月で貯まって腐葉土ができる。そこに次第に植物が繁茂し、船岡山ができてきた様子を説明している。

 

7 藤棚

チビッコ広場とグランドとの間に設置され、一時の休息の場として語らいの空間である。雨天時の臨時の避難場でもある。

 

8 グランド

朝早くから市民の朝のラジオ体操の元気な姿が見られ、昼間は子どもたちが、サッカーなど球技に興じている。市民に開かれたグランドである。

 

9 旧ラジオ塔

昭和10年(1935年)の船岡公園開園にともなって、建造された。ラジオ塔は、昭和5年から戦中に掛けて、ラジオ放送を聴くために、全国で300基以上建造された。 国民には情報の収集源であった。

 

10 野外演奏場

バックに左大文字山が見える最高のステージである。近年テレビドラマ「みやこが京都にやってきた」の撮影現場であった。


 

11 扇型などの敷石

ラジオ塔から頂上へ行く小道の間に扇形などの敷石が設置されている。思わず敷石と敷石とを飛んでみたくなる。

 

12 低木樹木の小路

頂上に誘う小道には、季節によってニシキギやハギそしてアセビが咲き乱れる。「京都自然200撰」の第1号に認定された船岡山には、メジロ、マヤガラ、エナガ、ヒヨドリなどの多くの野鳥が観察できる。

13 あずまや(東屋)

野外演奏場の小道をはさんで北側にあずまや(東屋)があり、市民の語らいの休息の場である。
8月16日夜の送り火には鳥居を除いて全ての遠望が見られ、あずまや
周辺は多くの人でごった返す。

 

14 記念碑

頂上への小道とあずまや(東屋)との間に記念碑が建立された。
大徳寺総見院が菩提寺である侯爵近衛文麿の書である。紫野地域一帯の土地区画整理が行われたことを記念する石碑である。

 

15 船岡山城の土塁・空堀跡

頂上へ行く小道の三差路の建勲神社裏の森林に船岡山城の土塁・空堀跡が見られる。建勲神社裏の神域は朱色の玉垣で囲まれ、土塁・空堀を覗き見ることができる。

 

16 宝篋印塔と地蔵群

船岡山に残された墓塔・供養塔を集め礼拝供養した。罪が消え、災害から免れ、死後は極楽浄土へ生まれ変わる功徳があると言われた。

 

17 旧国旗掲揚台

宝篋印塔横の頂上への小道途中に旧国旗掲揚台が建てられた。搭の後ろに国旗を挿し組む溝跡が残る。
祭日や記念日には船岡山山上には国旗がはためいていた。

 

18 円盤の市内の案内板

頂上の磐座(いわくら)北側に花崗岩の台座に円盤の案内板がある。
京都駅、東寺、清水寺、大大文字山などが読み取れるが、円盤が摩滅しつつあり全体的に読み取りにくい。

 

19 頂上近くのあずまや(東屋)

老朽化していたので近年リニュアルされた。取材した時には、老夫婦と思われる二人が親しく語らっておられ、微笑ましかった。

 

20 船岡山頂上三角点とサイレン塔

三等三角点船岡山、北緯35度2分8秒756、東経135度44分40秒417、標高111.89m、設置年明治36年(1903)と表記されている。

 

21 山上眺望案内板と野仏 旧猿舎跡

後方の少し高くなった台地状の空間が、ニホンザルの旧園舎跡である。
昭和期に設置されたドーム型の猿舎で、飼育環境は芳しくないと子供心に記憶が残っている。

 

22 左大文字と愛宕山遠望

夏の夜8月16日送り火の時左大文字山に点火される。左に微かに見えるのは火伏せ・防火に霊験のある神社が鎮座する愛宕山である。

 

23 弘法大師爪彫像

頂上より西側に下った小道にチャートの岩盤が露出している。一段と大きな岩に弘法大師が爪で彫ったと伝わる阿弥陀如来磨崖仏があり、西方浄土の向きに彫られている。

 

24 野仏群

船岡山は葬送の地である蓮台野に近く、応仁永正戦での激戦地でもあり、この山に点在していた野仏や地蔵などが祀られている。

25 チャートの岩盤と顕彰碑

頂上付近の磐座の南下にはチャートの岩盤が露出している。山全体が岩盤であるため植生が特殊で、スダジイなどの樹木は成長が遅く、年輪が緻密である。建勲神社との境に顕彰碑が寂しくポツンと立つ。

 

26 見事なチャートの褶曲地層

山全体は石炭紀からジュラ紀(約2~3億年前)に赤道付近の海底できたチャートが隆起した岩盤である。地下深くで起こった地殻変動の凄さを褶曲地層として観察できる。

 

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この記事を書いたKLKライター

自称まちの歴史愛好家
橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

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